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2008/12/31 JKUC360JKUCメールマガジン(2008年12月31日 第360号)
<2009年1月4日(日) の予定> 9:30 礼拝
<日曜シャトルバス時間表> JR六甲道駅(駅南側のツタヤ向側)9:00 阪急六甲駅(駅北側の池田銀行付近)9:20 教会から各駅へ(教会玄関前) 礼拝後 乗り場の確認はホームページの写真を参考にして下さい。 http://www.kobeunionchurch.org/page3/page3.html#JR
<1月の教会行事> *12月14日―1月4日のサンデースクールは休会です。 4日(日)9時半 礼拝(聖餐式) 11日(日)9時半 礼拝、11時 サンデースクール開始、12時 新年ポットラック 16日(金)20時 大阪夜回り1 18日(日)9時半 礼拝、11時 サンデースクール 23日(金) 20時 大阪夜回り2 25日(日)9時半 礼拝、11時 サンデースクール
<大阪夜回り2009> 恒例となりました大阪釜が埼地区の夜回りは、2009年は1月16日、23日、2月20日、27日の4回です。20時くらいに教会を出発して、午前1時くらいまで行われます。毎回定員6名です。参加希望者は教会オフィスにお申し込みください。また詳細を希望の方もオフィスにご連絡ください。
<通訳者予定リスト> 4 Tanikase 11 Hayase 18 Fujimoto 25 Chujo 2/1 Murayama
<2008年を振り返って:谷綛安雄> 今年6月にマーク・オルモス牧師が帰国し、10月から臨時にジェラルド・マークル牧師が1年間KUCに来て下さることになりました。春から礼拝時間が9時半からのみになり、11時から来られていた方々には、ご不便をおかけしていると思います。2009年も続けて9時半から礼拝、11時からサンデースクールという時間帯で継続されます。今年も多くの方々の支えと祈り、奉仕と励ましの内に教会の働きが守られたと思います。陰日向で支えて下さった多くの方々に感謝いたします。また、12月24日のクリスマスイブ礼拝における和風降誕劇は、とても好評でした。ジェラルド牧師からはぜひイースターにも何かとリクエストを聞いています。年末年始の忙しい時ですが、しばらく時間をとって2008年を振り返り、そして2009年を新しい思い、新しいビジョン、新しい決意をもって迎えたいと思います。病いや苦しみの中にある方々には神様のいやしと慰め、人生の戦いと試練の中にある方々には神様の支えと力、皆様の上に神様の豊かな恵みと祝福がありますように。Happy New Year!
JKUC360-2JKUCメールマガジン(2008年12月31日 第360号)
<Good New for me, you or others?>
列王記下7章9節: 彼らは互いに言い合った。「わたしたちはこのようなことをしていてはならない。この日は良い知らせの日だ。わたしたちが黙って朝日が昇るまで待っているなら、罰を受けるだろう。さあ行って、王家の人々に知らせよう。」
ルカによる福音書2章10節: 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
10才になる男の子が、人生の重要な時期を迎えていました。彼はとある中学校に志願し、筆記試験を受け、面接も済ませ、結果を待っていました。新しい学校に入学を許可されるか、今迄の学校を続けるかという、人生の岐路にいたのでした。待つ身はつらく苦しいものでした。ある日の夜、彼の父親が新しい学校からの手紙を持って帰宅しました。少年はそわそわしながら手紙の封を切り、内容を読み、喜びの叫びをあげて飛び上がりました。「入学が許された。この朗報を友達や先生にも知らせよう。」彼の両親には別の懸念があって彼に数日待つように頼みました。しかしながら、その少年はあまりにも興奮していたので、自分の気持ちを抑えることが出来ませんでした。彼は心で、その知らせがとても素晴らしいことなのですぐに他の人に伝えなければならないと思ったのでした。ぐずぐずしている暇はありませんでした。
列王記下の7章で、サマリアの城門の入口の所にいたハンセン氏病の4人の男の話を読みました。当時サマリアの地では飢饉がおこっていました。自分の子供を料理して食べるしか他に手段がないほど厳しい干ばつでした。その4人の男は食べ物のない街に行くことを好まず、代わりにサマリアを包囲攻撃したシリア人軍隊に身を任せることに決めました。彼らがシリア軍キャンプのはずれに来た時、主が大軍のような戦車や馬の音を聞かせられたので、人っ子一人そこにはいませんでした。兵士たちはとても驚きシリア軍を倒すために、イスラエルの王がヒッタイトやエジプトの王を雇ったと思ったので、兵士たちはおそれおののきました。彼らは馬やロバを捨てて、キャンプを捨て命からがら逃げ出しました。ハンセン氏病の4人の男は、テントの一つに入り、飲み食いし金銀や衣類を運び出しそれらを隠してしまいました。しかし、彼らは気持ちが落ち着かず、「今日はいい日だ。このことは私たちの秘密にしておきましょう。すぐにこのことを王宮に報告しに行こう。」と言いました。彼らは街の中で飢えで死にそうになっているイスラエルの人々に食べ物や他の品々を分け与えたいと思いました。
今日の私たちへの質問は、:「その良き知らせとは、私のため、それともあなたのためなのか、もっと広く共有すべきなのか?」というものです。
ルカによる福音書2章では私たちの主イエスの出生と幼年時代の話が書かれています。同様に、イエスの降誕を羊飼いたちに知らせる天使、この時に歌われた賛美の歌、羊飼いたちによってその知らせが広められることが書かれています。この時、救い主の誕生の知らせが天使によってユダヤ人である羊飼いたちにもたらされました。対照的に、マタイ書に記されているように、このアンバサダー(大使)の到来の知らせが星によって、異教徒である東方の博士たちに知らされました。神はそれぞれの人々が最も慣れ親しんでいる言語で、ユダヤ人には天使を以て、異教徒には星を以て語られたことがわかります。神の御子イエス・キリストは、卑しい身分にされ最も卑しく最も下劣な境遇でお生まれになりましたが、神は彼を高められました。神によって定められたので、この世での御子イエス誕生のニュースは、すべてのメカニズムと可能なアプローチを用いて広められるべきです。ルカ書のこの物語から羊飼いの三つの特性;働き、礼拝、そして証言を調べてみましょう。
Working 働き
8節: 羊飼いが用いられました。彼らはベツレヘムに隣接する地方で野宿をしながら、泥棒や掠奪者から羊の群れの番をしていました。彼らが仕事をしていた時に、主の御使いの訪問を受けたのです。天使は大祭司や長老にではなく、テントに住んでいる貧しい平凡な羊飼いの一団に使わされました。神はこうした謙虚で勤勉な人々に好意を寄せておられました。私たちがここから学ぶのは、真摯に真実公正な召しにしたがっている時、私たちも神の訪問を受ける可能性があるということです。神はどんな状況の下でも話しかけてくださいます。神の言葉に耳を傾けることはとても大切なことです。
9節:羊飼いたちは天使の出現に驚きました。羊飼いたちは主の栄光が彼らの周りを照らしているのを見ました。彼らは悪い知らせを恐れていたので、怖がりました。10-12節。恐れることは何もありませんでした。天使が「恐れるな。」と言いました。私たちは罪びとですが、天からのあらゆるメッセージがすべて神の復讐の一つであるとは限りません。この場合、大きな喜びを告げる朗報でした。ユダヤ人だけではなく民全体への救いの知らせでした。イエスはキリスト、救世主、主メシヤ、油注がれた方なのです。この知らせは秘密にされることなく、宣言されるべきなのです。羊飼いたちは驚き、恐れ、恐らく信じられなかったでしょう。このように天使は証拠のしるしを与えました - 乳飲み子は産着に身を包まれ飼い葉桶に寝ているという証拠のしるしを。ローブに身を包まれ、町で一番よい家で寝ていたのではありません。
Worshipping 礼拝
13節:天使によってその知らせが告げられるとすぐに、天の大軍が神を賛美し始めたのです。この歌は(a)神はこの奇跡的誕生をほめたたえられる。(b)地上の人々には喜びと平和がある。という二つの部分からなっています。救世主をこの世に遣わすことにみられる神の好意は、神と人間との間に生まれた敵意を滅ぼし、全面的に、ユダヤ人と非ユダヤ教徒、人間と天使、人間と良心との間に平和な関係を回復し、地上に平和をもたらすものでした。
15節:知らせを聞き、王の王への賛美と礼拝にあずかった後で、羊飼いたちはお互いに相談し合いました。天使が話してくれたことを確認し、王とその御子に拝礼するため、ベツレヘムに行くことに決めました。16節:彼らはすぐに出立し、マリアとヨセフ、乳飲み子を探し当てました。天使から知らされた良き知らせを今や確認し、それゆえにお互いの信仰が大いに強められて、羊飼いたちは大喜びであったに違いありません。
Witnessing 証をする
17節:その幼子は,彼が救世主、メシアであることを信じさせるほどの特定の特色を持っていた訳ではなかったのですが,羊飼たちはそのしるしに満足し天使の言ったことを信じました。それで彼らは天使のみ告げと全ての話を広め始めました。彼らは,幼子の誕生のこと、彼が救い主であること,地球の平和が彼にあることをみんなに話しました。18節:羊飼たちは信念を持って話したので,それを聞いた人々は,彼らの証に驚嘆しました。これは羊飼たちが純粋に正直者でそのような作り話をするようなものではなかったという事実のおかげのようです。人々は,なぜメシアが王宮ではなく飼い葉桶の中でお生まれになったのか、なぜ天使がこの知らせを大祭司ではなく,貧しい羊飼に伝えたのだろうかと思ったに違いありませんが、彼らが言ったことを受け入れました。
20節:羊飼たちは天使たちがしたように,神をあがめ,賛美し続けました。彼らは,神を賛美し,キリストに出会えたことを神に感謝しました。十字架の故に,飼い葉桶の幼子は,ある者にとっては愚かに見え,救いへのつまずきの石となるでしょう。しかしながら,多の者には羊飼たちのように賞賛と賛美にふさわしいお方なのです。
Conclusion 結論
救い主イエスは、ユダヤ人が望んでいたような、ローマの法律を打倒するような王様の華麗さと輝きは持ち合わせていませんでした。羊飼たちはイエスの天性とミッションを受け入れました。天使が突然現れたとき,恐怖の反応を示しましたが,彼らは受け取った情報を容易に信じました。彼らは,その良き知らせは,彼らのためだけではなく民全体のためのものだと,理解しました。だから彼らは行動に移し,メシアの誕生のニュースを広めたのです。恐怖におののく不信心な平凡な羊飼から,多くの天の軍勢とともに神を拝礼し良き知らせを広めるほど勇敢な証人への変化に注意して下さい。
あなたは福音を聞いたことがありますか?それを信じますか?
神を礼拝し,あなたの救い主として神様をあがめ賛美していますか?
もし福音を聞いたことがあるなら、それをあなただけにとどめておいてはいけません。
羊飼たちのように,証人となりますか?
あなたは自分がまだ未熟で,証をするほど勇敢ではないと心配していませんか?
心配しなくてもいいのです。神に全てゆだねなさい。神が神のために証する勇敢さと力を授けて下さいます。
ヴィクトリア時代の作家/詩人であるジョージ・マクドナルドが次の詩を書いています。
私は言った:「野原を歩かせて下さい」;神が言われた:「いいえ、街を歩きなさい。」
私は言った:「そこには花がありません」;神が言われた:「花はないが、冠がある。」
私は言った:「しかし空は真っ暗です。騒音と薄明かりしかありません。」
しかし神は泣きながらことばを返された:「それ以上のもの」「罪があります」と。
私は言った:「でも大気は厚く、霧が太陽を覆い隠しています。」
神は答えられた:「しかも精神は病み、闇にある精神は破滅している。」
私は言った:「私は光りが恋しい。友たちは私がいなくて寂しいというでしょう。」
彼は私に答えて言われた:「今晩選びなさい、あなたや彼らを恋しく思うのが私だとしたら」
私は与えられた時間に言い訳をした:神はいわれた:「決めるのはむずかしいですか?
天国であなたのガイドのやり方に従うのはそれほど難しくなさそうですが。」
私は野原をちらっと見て、それから顔を街の方にむけた:
神は言われた:「私の子よ、明け渡しますか?冠の代わりに花をのこしますか?」
すると、神の手に私の手がはいり、神が私の心に入ってきたのです。
私は神の光の中を歩み、恐れていた道が見えてきました。
未来に向けて準備をするために、2分間次のビデオクリップをみましょう。
2009年の年頭の決心をするにあたり、次の質問を自問して下さい。
2009年には誰があなたの神ですか?
神の為に何をするように、神は言っておられますか?
あなたは福音の証人となりますか? 2008/12/25 JKUC359JKUCメールマガジン(2008年12月25日 第359号)
<2008年12月28日(日) の予定> 9:30 礼拝 11:00 通訳者ミーティング
<日曜シャトルバス時間表> JR六甲道駅(駅南側のツタヤ向側)9:00 阪急六甲駅(駅北側の池田銀行付近)9:20 教会から各駅へ(教会玄関前) 礼拝後 乗り場の確認はホームページの写真を参考にして下さい。 http://www.kobeunionchurch.org/page3/page3.html#JR
<1月の教会行事> *12月14日―1月4日のサンデースクールは休会です。 4日(日)9時半 礼拝 11日(日)9時半 礼拝、11時 サンデースクール開始、12時 新年ポットラック 16日(金)20時 大阪夜回り1 18日(日)9時半 礼拝、11時 サンデースクール 23日(金) 20時 大阪夜回り2 25日(日)9時半 礼拝、11時 サンデースクール
<大阪夜回り2009> 恒例となりました大阪釜が埼地区の夜回りは、2009年は1月16日、23日、2月20日、27日の4回です。20時くらいに教会を出発して、午前1時くらいまで行われます。毎回定員7名程度です。参加希望者は教会オフィスにお申し込みください。また詳細を希望の方もオフィスにご連絡ください。
<通訳者ミーティング> 通訳者ミーティングを12月28日(日)の礼拝後、11時から行います。ジェラルド牧師を交えての親睦の時です。皆さん一度は通訳を担当されていると思いますが、感想や質問があれば、ぜひどうぞ。サンドウィッチなどの軽食を持ち寄り出来る方は、ご協力お願い致します。12時くらいまで。
<通訳者予定リスト> 28 Rodda 2009/1 4 Tanikase 11 Hayase 18 Fujimoto 25 Chujo
<KUCクリスマスイブ礼拝の和風劇> 昨日12月24日(水)の7時半からのクリスマスイブ礼拝で、和風降誕劇が行われました。これまでの練習の集大成として、素晴らしい降誕劇になったと思います。多くの方々から、「感動した」「これまで見た降誕劇で一番良かった」「こんなに工夫された降誕劇は見たことがなかった」などなどの感想を頂きました。ナレーターとしてとても美しくストーリーを語り聞かせて下さった釘島さんと宮谷さん、降誕劇の中心的な役割のヨセフとマリヤの小松さんと高山さん、神様のメッセージを伝える天使には振袖や着物を着て優雅に入場して下さったラッダさん、川部さん、須田さん、そして妻の治子、田舎出身の羊飼いの役でとても見応えのある演技をして下さった石橋さんと梅原さん、子供や動物役で登場してくれた子供たちとアシスタントのお母さん方、三人の博士役で登場して下さった三名の韓国人の教会メンバー、ピアノとBGMを担当して下さった塩見さん、照明を担当して下さった中條さん、スポットライトをバルコニーから担当してくれた力くん、スクリーンPPT操作を担当して下さったバロウさん、小道具を作り裏方でドアの開閉をして下さったデルプさん、ほか多くの方々の理解とサポートの中で「和風降誕劇」を上演することができたと思います。出演者も裏方で奉仕して下さった方も、みなさん本当にご苦労様でした。ありがとうございました。私自身も日本人風の衣装やアレンジでの降誕劇を通して、日本人としてこの降誕物語がもっと馴染みのある、親しみのあるものになりました。ありがとうございました。(昨晩は3台のビデオ・カメラで違ったアングルから録画しています。上映会を後日行いたいと思います。) JKUC359-2JKUCメールマガジン(2008年12月25日 第359号)
<God’s Surprising Choices!> 羊飼いたちThe shepherds 皆さん驚かれるでしょうが、ニュージーランドにはとても多くの羊がいるのに私は羊飼いに一度しか会ったことがありません。彼の名はロビーで、彼と彼の羊たちはニュージーランドの一番東の方に住んでいました。ですから、もちろん国の中でも、また世界中の誰よりも一番早く日の出を見るわけです。とても孤独な人生です。何日間も人間と出会わないことが時々あります。
私は1961年にロニーと出会いました。二人とも牧師になる訓練を受けていた時のことです。彼は大きな手をしていて、親切で気前がよく、すぐに笑顔になり、よく笑いました。ロビーの世界を想像してみました。私たちの殆どは都会出身で、彼が真のキィウイでした。彼は馬に乗り、羊を駆り集め、馬から飛び降り難産で苦労している羊を助け、あおむけになったまま起き上がれないでいる羊を足で立たせ、猛犬から守り、毎晩火を起こし狩で捕らえたウサギを調理し、キャンプ用の湯沸かし器で湯を沸かし、星空の下で眠る生活を長年送ってきたのです。私たちは彼からdragging, docking, cast sheep, drenching, tailing 等の多くの新しい言葉を学びました。
卒業後彼は二つの教会で牧会をし、その後オークランドのハウラキ湾の中のある島のクリスチャン・コミュニティーで、麻薬に溺れた若者たちの世話をして何年か過ごしました。この若者たちには、善良で健全な生活へと立ち返らせてくれるロビーの様に優しくて力強い友達が必要でした。神様はロビーの人生を変え、彼もほかの人々が神様を見いだす助けになれることを切に望んでいました。
私がこの話を詳しくしたのは,イエスの時代、羊飼いは決して尊敬されたり,好まれたりする職業ではなかったからです。とても軽蔑されていました。好かれていなかったというのではなく,軽蔑されていたのです。きつい言い方です。町や都市に住んでいる人々は,彼らは無能だと考えていました。他人の土地の牧草を自分たちの羊に食べさせたり,餌をやったりする信頼のおけない,不正直者だと考えていました。彼らの評判がそんな風だったので,裁判の証人になることは許されませんでした。彼らは,年中無休で24時間羊の世話をしなければならなかったので,定期的に礼拝に参加も出来ませんでした。それに彼らは汚かったのです。
それでも,10代の母親マリヤに神の子が生まれたことを神様が最初に知らせたのは,彼ら(羊飼いたち)でした。もし今迄に聖書(の話)が本当だろうかと疑ったことがあるなら,この物語をこんな風に読んでみて下さい。なぜなら、もし誰かが,人々にそれが本当だと思って欲しいと望んで物語を作りたいと思ったら,羊飼が最初にその知らせを聞き、嬰児イエスを最初に訪れるグループだなんて,絶対に書かないでしょう。その知らせは、もっと王とか、高僧とか,少なくとも神を拝礼するような確かな人にされたでしょう。世間で認められているジャーナリストかもしれません。しかし羊飼いに最初に知らせるというのは、神戸で路上生活をし、たくさんの空き缶の袋を自転車の荷台に積んで、街をいくホームレスに知らせるようなものです。
いいえ、正気な作家なら他人が注意を払いそれを信じるような人々にその知らせを発表したでしょう。復活の物語においても同じです。その話が最初誰に届けられましたか?女性でしたね。当時彼女らの証言は信憑性がないと見なされていました。それが事実本当でないとしたら、誰が台本に羊飼や女性を加えたでしょうか?聖書の物語は真実,それも驚くべき真実であり,虚構ではないことが最も強力な議論の一つでなければなりません。
別の疑問は,なぜ羊飼だったのかということです。もちろん私にはわかりません。誰にもわかりません。でも推測できます。イエスは、神から遠く離れ、立ち返ることが不可能であった人々に特に引き付けられたように思えます。例えば… 自分たちの貧困が天罰によるもので、神が彼らのことをよく思って下さっていたら,裕福になっていたかもしれないと、文化的背景の中で信じ込まされていた貧乏人。 同じような理由で、多くの病人、盲人,足の不自由な人,ハンセン病患者たち。 自分たちがユダヤ人ではないので,神の目には二番目にしかなれないと確信していた外国人たち。彼らはいつも自分たちがのけ者なのでは?という不安を抱えて生活していました。 そして自分の過去にとても気まずい思いをしている多くの男女。自分の過去を台無しにし,人生を浪費したことを知っています。女は体を売り,男は金と権力のため魂を売り,自分が自ら引き起こした挫折や孤独と共に生きている者もあれば、自分に失望し,嫌気がさし,神も自分たちを同じように見ていると信じている人々。神に立ち返る方法など全く期待できないとあきらめています。
私はもちろん確信しているわけではありません。しかしそれが、神の最大の知らせを羊飼にされるのを選択された理由ではないでしょうか。つまり下級階層、軽蔑された人々、取り残された人々、希望を失った人々の代表である彼らに。
これがクリスマス降誕物語のスキャンダルの全てです。少なくともある人々の目には。 神の御子が無力で傷つきやすい嬰児としてこの世に来られたこと。 イエスの母は未婚で,彼は非嫡出子であったことがすぐにわかります。 イエスはローマ帝国の中心から遠く離れた片田舎で人生の大部分を過ごしました。 そしてイエスの到来が、羊の世話をする以外の仕事に就けず見下され、裁判所で決して証言を許されず信頼されていない一群の人々に最初にもたらされたこと。
マリヤの祈りを思い出して下さい。 「その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。」
「心の貧しい者は幸いです。」とイエスは言われました。神から何も受けるに値しないことを知っている人々,自分が神の目にふさわしくないことを理解している人々,神の声を聞き、神からの恵である許しと救い(救済)を喜んで受け入れる人々。イエスは言われました。「だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者はたかくされます。」(マタイによる福音書23章12節)
東方の博士たちThe wise men 何というコントラストでしょう! ルカの福音書の中でのみ羊飼たちの話を読むように,この話はマタイ書にのみ見つけることが出来ます。それを除けば,ルカが特に女性や貧しい人に心を向けるイエスの態度や、祈りと聖霊に興味を持ったことにすぐ気付きます。だからこそ彼がこの話を取り入れた理由であることは,かなり高い可能性をもちます。しかしそれが私たちに教えることは,イエスの人生の全体像を…彼の死も復活も… 見たいと望むなら,四つの福音書を全て読む必要があるということです。
羊飼たちは貧しく軽蔑されていました。東方の博士たちは正反対であったようです。彼らの贈り物の特徴から見ても,まさしく彼らは裕福で,自国で深く尊敬されていたように思われます。しかし彼らについて他に何がわかるでしょうか?
彼らはアラビアからやってきました。今日サウジアラビア,クエート,ヨルダン,イラクからなるあの広大な土地。そのほとんどが砂漠で,そのほとんどが石油を蓄えています。マタイによれば,彼らは,黄金,乳香(高価な香水),および没薬(高価な油)の贈り物を持って到着したとあります。黄金はアラビアで採掘され,乳香と没薬はアラビアにのみ棲息する木から採取されました。
彼らは占星術師でした。面白い余談ですが,1920年にイギリス人の学者がヨルダンでベドゥイン(遊牧民)の部族を訪ねました。その部族はkokobaniという興味深いアラブの名前をもっていました。その言葉の意味を尋ねると,彼らは「惑星を研究し惑星に従ってきた人々」だと説明してくれました。どうして自分たちをそのように読んでいるのかと尋ねると,それはイエスが生まれた時、彼らの先祖が偉大な預言者イエスを敬うためにパレスチナの西まで惑星の後をつけて旅したからだ、と説明してくれました。そうです,イスラム教徒はイエスを信じ、崇めています。しかし預言者としてであって、神の御子や救世主としてではありません。
3. しかしここで最も興味深いのは、彼らが占星術師だったことです。神の御使いたちが、約束されたユダヤの王が嬰児としてこの世に来られたという知らせをもたらしたのも、これらの人々だったのです。これも奇妙です。なぜなら、殆どどの教会でも占星術、星占い、星の位置からあなたの生き方を占う人々とは関わらないよう教えられますから。私はまさにそのことを教えてきました。しかし朗報が届けられたのは、占星術師達でした。それはあなたが真剣に神を探求している限り、どんなルートをとっても神は気になさらないということでしょうか?ある一つの宗教は他の宗教と同じくらい良いということでしょうか?バイキングスタイルで食べ物を取るのと同じように、この宗教を少しあの宗教を少し取りあなた自身の宗教を育てることはOKだと、オフラ・ウインフリーが彼女のテレビショーの視聴者を勇気づけるのは正しいのでしょうか?どうでしょうか?
いいえ、神へ至る道は一つしかないので、問題がないわけではありません。神は、御自身大きな代価を払って、私たちのために死ぬために、イエスとしてこの世に来られました。私たちに代わって死ぬために。赦しを可能にするために。それは聖書全体を貫く完全な脈絡のようなものです. 「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」(コリントの信徒への手紙二5章21節)「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書 3章 16節)「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒言行録 / 4章 12節)
しかし、キリストに至るには多くの異なった道があります。この教会に数年在籍していて、ロンドンに住んでいるミャンマー人夫婦の子息と結婚したオーストラリア人のリンデル・メイナ―ドを多くの方が覚えておられるでしょう。リンデルは日本語をとても流暢に話すことができました。しかし、彼女は一度も日本語のレッスンを受けたことがないと言っていました。一人のキリスト教の牧師が大阪の病院で彼女のために祈った時、神は彼女に日本語という賜物を与えられました。しかし彼女と神との関係がどのように始まったかを私に話させてください。
彼女は仏教に興味があってオーストラリアから日本にやって来ました。彼女はある仏教徒のコミュニティーを見つけそこに住み、その教えを聞き、仕事と瞑想に日々過ごすようになりました。そのコミュニティーの近くに多くのクリスチャンが住んでいる小さな村がありました。リンデルはそのコミュニティーのことをクリスチャン村と呼んでいました。彼女はそこに住んでいる人たちから定期的に食料を買い求め、彼らと何とかコミュニケーションをとることができました。これは彼女の日本語が流暢になる前のことです。まもなく彼女は仏教徒のコミュニティーよりも、これらのクリスチャンの人々が自分が求めていたものをより多く持っていることに、気付きました。彼女は彼らとより多くの時間を共に過ごすようになり、キリストに心を開き始めました。
その次の出来事は、病院で起こりました。なぜ彼女が病院にいたのか思い出せませんが、牧師の訪問が、そして彼の祈りが決定的なものとなりました。彼女の人生はキリストに開かれ、言語という賜物を与えられました。彼女は自分の探索の旅が終わったことを知りました。イエスは彼女を神へと導かれたのです。
御子降誕の知らせがなぜ、この賢者、博士、占星術者に届けられたのでしょうか?彼らはユダヤ人ではありませんでした。しかし、神のユダヤ人への約束を成就するために、世の救世主が最初にユダヤ人に来られるはずになっていたのと同時に、あらゆる人種、教義をもつ人々のところへ、全世界へ来られることになっていました。そして希望と答えを求めて、神を探し求める人がどこにいようとも、創造主を求める人がどこにいようとも、神は彼らをイエスへと導かれます。主を求めるすべての人に神の賜物へと導かれます。
ですから、神と真理を求める占星術師達がイエスへと導かれたのです。今日多くのイスラム教徒が夢とビジョンを通してキリストへ導かれるのと同じように。だから私たちは世界中にクリスチャンを見つける訳ですし、だからある一国や地域を指して「神の探求においてあなた方が最も恩恵を受けています。」とは言えないのです。彼は西洋(人)の救世主ではなく、どこか限られた地域のみの救世主ではないのです。彼は世界の救世主であり、希望なのです。
私たちが初めて日本に移り住んだ時、イエスのみが神への道だと信じるキリスト教会で育ってきた多くの西洋人と出会いました。町の中いたる所に教会がある時は難しいことではありません。しかし、かれらが日本に来て、またアジアの国々を旅し神社仏閣や僧侶を見たり、また事務所で仏教徒やイスラム教徒、ヒンズー教徒と席を並べるたりすると、自分の信仰や受けてきた教えに疑問を抱きはじめます。この話をするとき、私は自分の信仰を彼らに話すのはあまり意味がないことがわかります。私はプロなのですから。その代わり、私は彼らに、日本人や、中国人、タイ人、インド人、インドネシア人、アフリカの人、南米から来た人、韓国人やマレーシア人のクリスチャンに話しかけるよう奨め、彼らから(未信者の同僚に)話してもらうように頼むことを奨めます。彼らはいつも、自分が信仰をもちキリストに献身するようになると、昼と夜ほどの違いであることを説明してくれます。 なぜならイエスのみが神との親密な関係に導いてくれたからです! それがクリスマスの意味であり、奇跡なのです! 2008/12/19 JKUC358JKUCメールマガジン(2008年12月18日 第358号)
<2008年12月21日(日) の予定>
9:30 礼拝
10:30 リハーサル・セットアップ
10:50 日本語降誕劇練習
<日曜シャトルバス時間表>
JR六甲道駅(駅南側のツタヤ向側)9:00
阪急六甲駅(駅北側の池田銀行付近)9:20
教会から各駅へ(教会玄関前) 礼拝後
乗り場の確認はホームページの写真を参考にして下さい。
http://www.kobeunionchurch.org/page3/page3.html#JR
<12月の教会行事>
20日(土)10時 祈り会
23日(火)19時 降誕劇直前練習(来れる方のみ)
24日(水)19時半 クリスマスイブ礼拝
28日(日)11時 通訳者ミーティング
*12月14日―1月4日のサンデースクールは休会です。
<通訳者予定リスト>
21 Chujo
28 Rodda
2009/1
4 Tanikase
11 Hayase
18 Fujimoto
25 Chujo
<KUCクリスマスイブ礼拝の和風劇>
12月21日(日)は、衣装や舞台セットをしてリハーサルです。劇の配役に当たっていない方もぜひセットアップにご協力下さい。それぞれ自分の衣装、小道具を用意して持って来てください。最終リハーサルですので、劇の完成までリハーサルを繰り返します。ただ通しで完成すれば早く終わります。ナレーター以外の出演者は、台本なしで行いますので、セリフやシーンの展開など覚えて来ておいて下さい。当日は、お仕事を終えてこられる方が多いと思います。出来れば、24日18時に舞台をセットアップして15分程度部分的に練習出来ればと思います。
<和風クリスマス劇のビデオ&カメラ係り>
劇に参加されている以外の方で、劇の様子をビデオやカメラに収めて頂ける方を探しています。最前列から舞台での演技者を写すビデオ(1カメ)、舞台から客席&入場を移すビデオ(2カメ)、後方から全体を移すビデオ(3カメ)、その他スナップ写真です。ご協力頂ける方は、メールでご連絡ください。
JKUC357JKUCメールマガジン(2008年12月12日 第357号)
<2008年12月14日(日) の予定> 9:30 クリスマス礼拝 11:00 クリスマスポットラック・ランチ 12:00頃 日本語降誕劇練習(13時半まで) 14:00 コミュニティーコンサート(オルガン&ハープ) (15:00 残れる方で降誕劇練習)
<日曜シャトルバス時間表> JR六甲道駅(駅南側のツタヤ向側)9:00 阪急六甲駅(駅北側の池田銀行付近)9:20 教会から各駅へ(教会玄関前) 礼拝後 乗り場の確認はホームページの写真を参考にして下さい。 http://www.kobeunionchurch.org/page3/page3.html#JR
<12月の教会行事> 13日(土)10時 祈り会@ラウンジ 14日(日)9時半 KUCクリスマス礼拝 (大人も子供も一緒に礼拝に出ます。託児はあります。子供の歌や出し物、ユースのプレゼン、クリスマスソングなど。) 24日(水)19時半 クリスマスイブ礼拝 28日(日)11時 通訳者ミーティング *12月14日―1月4日のサンデースクールは休会です。
<通訳者予定リスト> 21 Chujo 28 Rodda 2009/1 4 Tanikase 11 Hayase 18 Fujimoto 25 Chujo
<KUCクリスマスイブ礼拝の和風劇> 12月24日のクリスマスイブ・キャンドル礼拝で、伝統的な日本の衣装で5-10分の降誕劇を行います。日本語で演じ、スクリーンに英語の字幕を映します。キャストは、ヨセフとマリア役、羊飼いや天使役など子供を入れて、10名くらいです。セリフはほとんど2人のナレーターがカバーするので、演じる人はほとんどセリフがありません。また、大道具、小道具などの準備係りも必要です。12月24日公演予定の「和風降誕劇」の出演・舞台裏準備などに関心ある方は、たにかせまで連絡ください。本格的な練習が始まりました。14日は12時くらいから13時半までライブラリーで練習をします。14時からコミュニティーコンサートがあるため、礼拝堂での練習ができません。残れる方では、コンサート後、15時から礼拝堂で練習したいと思います。来週21日は衣装をつけて通しのリハーサルになるので、衣装以外のことでは、今回の練習で完成させたいと思います。500Wの照明を購入しました。ナレーター用のミニ・スポットライトも設置することになりました。出演だけでなく、大道具、小道具の準備、演出効果、BGM音楽などに関心がある方も、ぜひご参加ください。
<神戸クリスマスフェスティバル> 神戸市と近隣地区の福音的キリスト諸教会が中心となって、神戸市民と共にクリスマスを祝う伝道的福音集会が毎年行われています。今回で32回目となる神戸クリスマスフェスティバルは、12月5日(金)午後7時から、大倉山にある神戸文化ホールにて開催されました。オープニングにはKUCから8名の外国人が登場して、各国の言葉であいさつの言葉がなされました。他にKUCから15名が来場下さいました。 http://kobe1211.spaces.live.com JKUC357-2JKUCメールマガジン(2008年12月12日 第357号)
<Born of a Virgin> 使徒信条はこのように伝えています… 天地の創造主,全能の父である神を信じます。父のひとり子,わたしたちの主イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり,おとめマリアから生まれ… 私たちはみな,この物語を知っています。この物語は聖書の中でもっともよく知られた物語の一つです。イエス様は,宿に部屋がなかったために厩でお生まれになりました。その知らせはまず羊飼いたちにもたらされ,そのあと,東から贈り物とともにラクダで来た3人の博士にもたらされました。私たちが知っているもののうちいくつかは神話です! 3人の博士が乗ってきたのがラクダであったというのは,神話は語っていません。また,3人の博士がいたであろうことも,神話は語っておらず,私たちは知らないのです。もしかしたら2人だったかもしれませんし,22人だったかもしれません! 私たちが知っているのは,彼らが3つの贈り物を持ってきたということです!
そして,近年の研究では,そこが宿でも厩でもなかったらしいのです! もしあなたがしっかりと目を開いて,王として生まれた幼な子への贈り物を持ってきた博士たちに関するマタイの記述を読んだなら,このように書いてあったことに気づくでしょう…「そして,家に入って…」これは宿なのでしょうか,それとも家なのでしょうか?
あなたも私も,大変恵まれた時代に生まれました。私たちは聖書について,一世代,二世代前の人々より一層の知識を得ています。初期の草稿に使われていた言葉の多くは,古文書のどこにも見つかりませんでした。そのため最終的には,学者たちはその意図を推測したのです。ひとつ例をあげてみましょう。「私たちの日ごとの食物を,今日もお与えください。」何世紀もの間,「日ごとの食物」が何を意味するのかについて断言できる人はいませんでした。なぜなら,この語が「主の祈り」の真ん中にあったため,多くの学者はそれがパンやパン生地よりももっと霊的なものを意味すると考えたのです! イエス様が何を意図されたかに関連付けられ,例えば,イエス様がご自身を生命のパンとたとえられたことと関連付けられたのです。そのため,数多くの説教や注解で,これが祈りによってキリストを食するという意味であると説明されてきましたし,聖書を拝読することとそれに従うことで私たちとキリストとの関係を成熟させると説明されてきたのです! しかし1900年代初頭,考古学者らは大量の家庭ごみを含むごみの層を発見しました。その大部分は博物館に運び込まれ,隅々まで調べられました。そして,ある言語学者が調査し,ショッピングリストを発見しました。彼は金脈を掘り当てたのです。そこにその語があったのです! 聖書以外の古文書では初めての発見でした。そしてその語はまさに私たちが日ごと使用するものを意味していたのです…「私たちに日ごとの(新鮮な)食物を与えてください。」この文言はショッピングリストの間に,ひよこ豆とわらと一緒に書かれてありました。これは重要なことでしょうか?もしあなたがイエス様が単に祈りや聖書を拝読することだけに関心を持たれていたと考えるなら,重要ではないでしょう! しかし,イエス様が現実的かつ“世俗的”な日常の事柄にも関心を持たれていたと考えるなら,これは重要なことです。「主の祈り」のまさに中央にあるのです! この祈りの中では,「私たち」や「われわれ」といった複数形の代名詞が使われています! このことは,祈りには他の人々の現実的な必要への深い関心が含まれるべきことを意味しています!
それでは最初の疑問に戻りましょう…それは宿だったのか,それとも家だったのか? マタイは博士たちがイエス様を家の中で見つけたとしています。また,よきサマリヤ人のたとえでは,傷ついた人が宿屋に運び込まれており,宿という語がギリシャ語では区別して使われていたのです。より重要なことは,中東すなわちエジプト・レバノン・ヨルダン・シリア・イラクで人生の大部分を過ごした人が,新約聖書の最も重要な書物の一つを近年書いたということです。彼は新約聖書の研究者で,多くの時間を牧師たちや年配者,農場主といった人々とすごし,新約聖書の世界について教えてくれるよう頼んだのです! その見識は,清新なそよ風のようだったと彼は述べました!
彼が降誕の物語について発見したのは次のようなことでした。 ・その後は伝統的に「宿」と訳されており,その意味するものは農家,あるいはその客室のことだった。 ・ヨセフは彼の家族がやってきた村へと戻って行った。彼も“王家”であり,ダビデ王に連なるものだった。ベツレヘムはダビデの故地として一般に知られていた。彼はベツレヘムの街の至る所でベッドを探すことができた! あらゆる文化において,出産前の女性には特別な配慮がされた。 ・二人連れが夜に到着し,マリアが夜中に出産したという一般的な観念は,ルカの記述と一致しない…「彼らが(その町に)滞在している間に,月が満ちて初子を生んだ“ということは,誕生の時までにベッドを見つけるだけの十分な時間があったことが推察される。 ・ケネス・ベイリーは,中東の人々と過ごした経験から,彼らが商売として営業している宿で部屋を探したとは考えられない,と書いている。ほとんどすべての家が彼らに門戸を開いただろう。
では,家に泊まったということで降誕の物語は合致するでしょうか? 完全にします! 簡素な家には2つの部屋があり,ひとつは生活したり料理したり食べたり眠ったりする家族のための部屋であり,もう一つは客室でした。そうでない家には最低でももう一つの部屋か厩があり,これは居間に面していて,夜に動物を入れるための部屋でした。毎朝,動物たちは外に出され,そのスペースはきれいにされました。動物たちの飼い主は,動物たちが温かく過ごせるように,そして安全であるように,動物たちを屋内に入れていたのです。
部屋の床は厩の床と続いていて,通常,飼い葉を満たした二つの飼い葉おけが置いてありました。おなかをすかせた牛は首を居間に伸ばして食べることができました。あるいは…しばしば,飼い葉おけは赤ちゃんのゆりかごとして使われていました。おそらく,中東の学者たちが理解していたように,マリアとヨセフは住宅に温かく迎えられ,客室がすでに埋まっていたので,彼らは居間に泊まったのです。イエス様は部屋の隅に置いてあった飼い葉おけに寝かされたのです。
これは問題になるでしょうか? そうかもしれませんし,そうでないかもしれません。ただ,イエス様がお生まれのとき,人々は困っている人や縁故の人々に門戸を開いており,家族を保護していました。何年も後の人々も,そういった人の頼みを喜んで聞いたのです! これからの数週間,もし日本にいるなら,あなたがた神様が創られた世界に神の御子をお招きするという並外れた物語の中で,神様が最もありそうもない,驚くべき人々を用いられたことを学んでいきます…彼らの多くは,あなた方や私のように,用いることが可能で,用いられることを喜んでいた人々でした!
まず母親のところに戻りましょう。ほぼ間違いなく十代の少女で,結婚前に妊娠・出産することが恥でありかつ不名誉である女性でした。今日では不名誉なことではありませんし,特に西洋諸国ではそうですが,その当時は不名誉なことだったのです! ユダヤ教のタルムードや書物には,イエス様が婚外子か,あるいは非嫡出子とされており,ユダヤ教指導者との激しい議論では,こんな中傷に終わりました…「私たちは非嫡出子じゃない!」そのため,信者も未信者もこう結論します,取りうるポジションは二つだけです…イエス様は非嫡出子であるというものと,マリアは聖霊により妊娠したというものと。
私は今朝,私がこの物語を信じて驚嘆する理由をお話しして結びにしたいと思います。イエス様は全なる神であり,全なる人でもあるのです! これはクリスチャンが信じていることです。しかしそう簡単にはいきません。クリスチャンの多くはイエス様が全なる人であることを信じていますが,真に神様であるとは思っていません…また,他の人は,イエス様は全なる神であるとは信じていますが人間であるとは信じていません。キリストの時代以降,300年から400年の間に何度か会議が持たれました。その結果が,この教会が信仰告白として採用している二つの使徒信条です。これに時間を割くつもりはありません。むしろ,今日の私たちにとっての重要性に時間を取りたいと思います。
聖書には,神様があらゆるものを創造され,人間の男女も創造物であると書かれています。人間は,神様の創造物の頂点をなすものです。神様は契約を結ばれました: 神様は神の民の必要を備え,守ってくださいます。そして,神様は世界中の人々すべてに同じ備えと保護の手を差し伸べようとされています。しかし,それは条件付きです。人々は神と共に歩まなければなりません。また,神様の律法を厳粛に受け止め,神様が望まれたように生きなければなりません。男たちと女たちが背いたために,それは成りませんでした…信じることを拒み,信頼することを拒み,生きるべきように生きることを拒みました。その結果は私たちが今日見ているとおりです…人間は神様から遠ざけられ…しばしば互いに遠ざけあっています。
神様は神の民のことをあきらめてはいません。神様の正義あるいは公正さは,神様の愛によってバランスがとられています。神様は許しを与え,和解することを求めておられます。しかし,ここで,私たちは謎に行き当たります。私たちは単純にこれをすべて理解することができないのです! 世界を贖い,許しを可能とするために,神様は人の肉体をもって世に降りられる必要があったのです。私たちのような肉体にです。私にはこのすべてを理解することができませんが,ただひとり人としての神様だけが私たちを見出し,私たちと語り合い,そして私たちのために死んでくださることができたのです! そしてこれがクリスチャンの信仰の謎であり…恵みであるのです! 私にはあなたがたの疑問のすべてに答えることもきちんと論理だてることもできませんが,語られてきたことをあなたがたに伝え,この謎が人々の強い望みにいかに応えたかを伝えることはできます!
私は以前,イギリス上院議員のキャロライン・コックス男爵夫人についてお話したことがあります。彼女は戦う男爵夫人としてよく知られています。それは論争好きな政治家であるからではなく,彼女が世界の関心を艱難にひこうとしているためです: たとえば,世界中の何百万もの迫害されているクリスチャン,スーダンの奴隷制,ロシアの孤児,ペルーでの不当な投獄などです。彼女はキリスト教世界連帯(CSW)の代表です。彼らのモットーは,こういうものです。我々は奇跡を信じない。我々は奇跡を信頼する!
彼女は,彼女の救済の旅程における最悪の瞬間と最高の瞬間について尋ねられたことがあります。最悪の瞬間は? 彼女はしばし考え,残酷な単純さでもって,スーダン政府派遣の軍隊が出立したあと,戦利品である人間が山と積まれているディンカ族の村に入ったようなものと説明しました。死者の悪臭は圧倒的でした。百体以上の遺体が,残忍にも虐殺された場所に横たわっていました。男性,女性,子どもや家畜までもが殺され,あるいは集められて監禁されました。最悪なのが,市民軍が武装ヘリとカラシニコフ銃で武装して戻ってきて,村人は,北から来るイスラム原理主義者の残忍さと殺意にさらされる前にまた丸裸にされてしまうことが分かっているということでした。
彼女の最高の瞬間は? それは,最悪なことのすぐ後に来たと,彼女は言いました。襲撃者が去って,彼らの残酷さの結果がそこらじゅうに残っていたあとに,数人の女性がまだ生きていました―彼らの夫は殺され,子供は奴隷として連れ去られ,家は壊され,彼女ら自身もむごくレイプされていました。その彼女らは集まっていました。彼らの最初の本能的な行動が,地面に転がっている棒を使って小さな十字架をいくつか作り,それを地面に刺すというものでした。
彼らは何をしたのでしょうか? 彼らが失ったものを記念した即席の様式でしょうか? 違います。コックス男爵夫人は,この粗雑に作られた十字架は墓碑ではなく,シンボルであると説明しました。その十字にされた棒が,彼らの信仰の行為だったのです。アフリカの角にあるナザレのイエスに従うものとして,彼らは彼らが痛みを知っているように,神も痛みを知っている方であると信じて神に仕えていたのです。彼ら自身,痛みと悲しみに目をふさがれて,恐ろしいことに世界が彼らの苦境を知りもしないし気にもかけていないだろうということに気づいていましたが,彼らはそれでも,一人の方が知って,気にかけてくださっているという確信に彼らの命を賭けたのです。彼らは孤独ではなかったのです。 ドイツの英雄的なキリスト教指導者であるディートリッヒ・ボンヘファーは,ヒトラーに抵抗してベルリンで収監され,絞首刑に処せられるのを待っているとき,こう書きました…「唯一,苦しみを受けられた神だけが救うことができる」
もう一度言います! ですが,この引用で終わりにしたいと思います。…ジョン・ストットは,彼の最高の書籍である「キリストの十字架The Cross of Christ」の末尾あたりでこう書いています…「私は,もし十字架がなければ神を信じることはできなかった。苦痛に満ちた現実の世界で,どんな人が苦痛を感じない神を礼拝することができるだろうか? 私はアジアの国々で多くの仏教寺院に入り,仏像の前に恭しく立ったことがある。その組まれた脚,伸べられた腕,閉じられた眼,口元に浮かべられた笑みの影,現世の苦難から超越した表情をたたえていた。しかしどの時も,少し後には,私は背を向けざるを得なかった。そして私の想像の中で,私は,孤独で,苦痛にゆがんだ,拷問を受けた十字架の像に向き合った。その,釘を打たれた手と足,引き裂かれた背,ねじられた四肢,血を流した額,渇きに乾いた口,神に見捨てられた暗闇に追いやられた姿に。これこそが私の神なのだ!」 そして私の神なのです!
2008/12/8 JKUC356JKUCメールマガジン(2008年12月5日 第356号)
<2008年12月7日(日) の予定> 9:30 ワーシップ/礼拝 10:30 フェローシップ/交わり&リハーサル(子ども) 11:00 サンデースクール/教会学校(年内最後です) 12:00 日本語降誕劇練習 (イブ礼拝で行う降誕劇です。関心のある方はぜひどうぞ!)
<日曜シャトルバス時間表> JR六甲道駅(駅南側のツタヤ向側)9:00 阪急六甲駅(駅北側の池田銀行付近)9:20 教会から各駅へ(教会玄関前) 10:40 乗り場の確認はホームページの写真を参考にして下さい。 http://www.kobeunionchurch.org/page3/page3.html#JR
<12月の教会行事> 7日(日) 9時半 聖餐式/11時 サンデースクール(2008年最後) 礼拝後には礼拝堂で、子供たちのクリスマスの練習・リハーサルがあります。 14日(日)9時半 KUCクリスマス礼拝 (大人も子供も一緒に礼拝に出ます。託児はあります。子供の歌や出し物、ユースのプレゼン、クリスマスソングなど。) 24日(水)19時半 クリスマスイブ礼拝 28日(日)11時 通訳者ミーティング *12月14日―1月4日のサンデースクールは休会です。
<子供たちのクリスマスの練習予定> 12月7日(日)礼拝後すぐ、短く合同練習(歌のリハーサル)をしてから、サンデースクールがあります。2008年最後のクラスです。 12月14日(日) 本番です。ご家族で礼拝にどうぞ!
<通訳者予定リスト> 12/7 Maruyama 14 Saito 21 Chujo 28 Rodda
<KUCクリスマスイブ礼拝の和風劇> 12月24日のクリスマスイブ・キャンドル礼拝で、伝統的な日本の衣装で5-10分の降誕劇を行います。日本語で演じ、スクリーンに英語の字幕を映します。キャストは、ヨセフとマリア役、羊飼いや天使役など子供を入れて、10名くらいです。セリフはほとんど2人のナレーターがカバーするので、演じる人はほとんどセリフがありません。また、大道具、小道具などの準備係りも必要です。12月24日公演予定の「和風降誕劇」の出演・舞台裏準備などに関心ある方は、たにかせまで連絡ください。本格的な練習が始まりました。7日はサンデースクールの後に練習をします。出演だけでなく、大道具、小道具の準備、演出効果、BGM音楽などに関心がある方も、ぜひご参加ください。今後、毎週日曜日に短い打ち合わせと練習を行い、本番に備えます。11月23日(第1回目)、30日(第2回目)、12月7日(第3回目)、14日(第4回目)、21日(リハーサル)。
<神戸クリスマスフェスティバル> 神戸市と近隣地区の福音的キリスト諸教会が中心となって、神戸市民と共にクリスマスを祝う伝道的福音集会が毎年行われています。今回で32回目となる神戸クリスマスフェスティバルは、12月5日(金)午後7時から、大倉山にある神戸文化ホールにて開催されます。入場は無料で託児サービスもあります。神戸ユニオン教会も協賛し、広報(ブログ)を担当しています。また、オープニングにはKUCから8名の外国人が登場して、各国の言葉であいさつの言葉があります。NZ、USA、フランス、インド、フィリピン、中国、英国、シンガポールなど。http://kobe1211.spaces.live.com
JKUC356-2JKUCメールマガジン(2008年12月5日 第356号)
<The Meaning of Advent> 私が2007年の待降節に説教をしてから1年がたちました。私がこの教会に来てからおおよそ12年がたちましたが,この教会では皆行ったり来たりしているので,私はお話しするたびいつも自己紹介をする必要を感じています。
私は西宮にある関西学院大学の教員であり,統一メソジスト教会のミッションボードから派遣された宣教師です。関西学院大学は,メソジスト教会の宣教師であるワルター・ランバス博士により1889年に設立されました。そして1913年,関西学院大学のカナダ・メソジスト教会の宣教師らによってカナディアン・アカデミーが設立されました。
日本に来る少し前に,私はミニストリーに関する博士学位論文を書き上げました。その主題は“多文化教会”でした。ですから,多文化,多人種,多国籍,多宗派,多教会の一員となることは,私の家族と私自身にとって出席し主に礼拝する場としてとてもエキサイティングなものでした。
私は,これは神様の王国に入る前の一種のドレスリハーサルだと信じています。つまり,私たちがみな,このような場に立つ時のためのものです: 「あらゆる国民,部族,民族,国語のうちから,数え切れないほどの大勢の群衆が,白い衣を身にまとい,しゅろの枝を手にもって,御座と子羊との前に立ち,大声で叫んで言った, 「救いは,御座にいますわれらの神と子羊から来る」」(ヨハネの黙示録7:9)
さて,ヨハネの天国の教会のビジョンに包まれる前に,現実に戻って目の前の仕事に対処すべきでしょう。そうすることが,私たちが待降節と呼ぶ教会の新しいシーズンに入る助けとなるはずです。
私の意見としては,教会歴では待降節が人々の関心の最後に位置づけられているようです。イエス・キリストの復活を祝う復活祭は,初期のキリスト教徒にとって最も重要な聖日でした。その後,次第にイエス様の誕生を祝うクリスマスが復活祭よりも大きな聖日になりました。これは世俗的な世界における確かな事実です。私たちはみな,復活祭には四旬節という備えの期間があることを知っています。また,クリスマスの備えの期間が待降節と呼ばれていることもです。
待降節はこの日曜日からクリスマスイブまでの,クリスマスに備えるための教会にとって大切な時間です。しかし今日,待降節がクリスマスのような興奮をもたらすものではないということは確かでしょう。あなたは待降節の讃美歌を何曲知っていますか? クリスマスキャロルは何曲知っていますか? 私たちの多くはクリスマスツリーが家にないなんて考えもしません。しかし,私たちのうちどれくらいの人が家にアドベントキャンドルを飾るでしょうか?
待降節は精神的な沈思のための厳粛な時であるべきです。他方,クリスマスは暖かくふわふわとした時となる傾向があります。私たちは子供時代の感傷的な喜びや,家族や友人が集まった楽しさを思い出すのです。クリスマスはパーティの時であり,また贈り物と休暇の時なのです。「ホーム・アローン」という映画シリーズで,クリスマス休暇という要素なしにプロットが成立するでしょうか?
私たちの多くはこう言うでしょう:「なぜ休日を楽しむのにクリスマスまで待たなければならない? もっと早く始めましょう。」そこで,多くのクリスチャンは待降節をカレンダーから外してしまったのです。私が子供のころでさえ,私はアメリカで育ちましたが,商業的な世界で,クリスマスシーズンは感謝祭(11月の終わり)の後から始まっていました。実際,感謝祭の翌日はいつも1年で一番の買い物の日でした。多くのデパートがこの日からクリスマスの飾りをし,そこら中でクリスマスツリーを見たりクリスマスの音楽を聞いたりすることができました。そして近年では,クリスマス商戦の成功のために,多くの商店が11月の上旬からクリスマス用の飾りを始めるようになったのです。日本でもそうです。私の息子の賢治は西宮のコナミ水泳教室に行っていますが,10月末にすでにクリスマスミュージックとともにサンタクロースのディスプレイをしていて驚きました。
私たちの多くは,全員でないにせよ,クリスマスが商業的になりすぎていると感じています。イエス様よりも現金に焦点を当てすぎているのです。この厳しい経済状況の中,私たちはすでにクリスマス商戦が厳しい結果となるとの予測を聞いています。まるでクリスマスが買い物シーズンと関係があるかのようにです。悲しいことですが,多くの人にとってクリスマスのお祝いはイエス・キリストの降誕とは関係がないのです。毎年,ますます多くの日本人家族が子供たちと一緒にクリスマスのお祝いをするようになっていますが,その際にイエス様の降誕に触れることはありません。サンタクロースがこの季節の理由としてイエス様にとってかわってしまったようなのです。そして,クリスマスに向けた精神的な備えの期間である待降節は,彼らのレーダーにかかりさえしないのでしょう。しかし,私たちも待降節のことをどれだけ知っているでしょうか? あなたは待降節(Advent)という語がラテン語のadventusの“来る(coming)”という語からきていることをご存知でしょうか。すみません,私の教授のことです。この期間は,「キリストの降臨(comings)」を公式に宣言する期間なのです。そう,私は「降臨comings」という語を複数形で言いました。それは待降節の間に3つの降臨について熟考したいからです。すなわち(1)2000年前のキリストの降臨,(2)キリストが今聖霊としていらしていること,そして(3)最後の勝利のためのキリストの再臨,の3つです。
私たちの多くは,クリスマスのお祝いをベツレヘムでキリストがお生まれになった2000年前にまでさかのぼります。そして,待降節の間に,私たちは預言の言を読むことによってユダヤの人々が救い主として神から遣わされた特別な人であるメシア(キリスト)の降誕を待ち望んでいたことを思い起こすのです。
キリストがお生まれになる直前,人々は霊的かつ政治的に救われることを待ち望んでいました。私たちは時折,当時の彼らがローマの占領軍の厳しい支配下にあったことを忘れています。そして,一部のユダヤ人はメシアがダビデのような戦士の王で,占領者を力で排除し,新しい王国を建設すると信じていました。間違いなく,このようなタカ派はイエス様に失望したでしょう。ラビや預言者の預言は,どのようにして彼らをローマのような占領者から解放することができたでしょうか?
イエス様がお生まれになった当時のイスラエルの人々にとって,暗黒の時代であり,そしてこの暗さは彼らにとって目新しいものではありませんでした。何百年も前の預言者であるイザヤは,主の降臨を待ち望んで,こう書いています: 「起きよ,エルサレム,太陽のごとく光を放て。…他の諸国は暗きに覆われ,しかしあなたの上には主の光が臨む」(イザヤ60章1節,2節)
私たちにとって,この光とはイエス様のことです。クリスチャンはこの待降節の間に希望に満ちたイザヤ書の一節も読むでしょう: 「一人のみどりごが我々のために生まれた! 一人の男の子が我々に与えられた! まつりごとはその肩にあり,その名は,「霊妙なる議士,大能の神,とこしえの父,平和の君」と唱えられる。」(イザヤ9章6節) そしてもちろん,クリスチャンにとってこの「我々のために生まれた子」とはイエス様のことです。バプテスマのヨハネはイザヤ書を引用して,キリストの降臨を説いていました。
そして待降節のもう一つの側面が,私たちの心のうちのキリストの降誕に備える時というものです。あなたは個人的な精神の闇を経験したことがありますか? あなたはキリストの光で自分の人生を照らすことを望みますか? おそらく,今年のクリスマスは,これまででもっとも重要なクリスマスとなるでしょう。なぜなら,キリストの聖霊が,真実あなたの人生のうちに生きてくださるからです。そこで提案させてください。待降節を神とキリストをあなたの人生のうちに招き入れるための祈りの時にしましょう。そして,霊的に重大なことがあなたの人生に起こるその時を待つための時間にしましょう。あなたは待降節を霊的に覚醒するための時ととらえたことがあるでしょうか? つまり,あなたの霊的な目をくらませていた闇からあなた自身を解き放つ時だと? 少し重すぎるように聞こえるでしょうか? もしそうならすみません。実際のところ,これは待降節のメッセージの一部分なのです。
これらのことは,私たちが関心を寄せていたクリスマスの商業的側面とは全く関係がありません。つまり,プレゼントを買ったり,クリスマスのお祭りや,クリスマスイルミネーションをしたりといったものとは無関係です。しかし,あなたと神との関係,あなたを永遠の命へと導く新しい命に関係するものなのです。
最後に,しかし大切なことは,待降節はキリストが悪に打ち勝つために再び降臨されることを覚える時でもあるということです。これは再臨parousiaと言い,キリストが生きるものと死せるものを裁かれるために来られる時のことを言います。キリストは2000年前に降臨されましたが,今でも世界に悪があることは明らかです。皆さんこのことには同意してくださるでしょう。私たちは新聞を読み,またテレビのニュースを見るだけでわかります。待降節は私たちに,私たちがいまだ闇の中に生きていることを思い出させます。私たちはイスラエルの人々と同じようにメシアを待ち望み,しかしまったく異なることとして,私たちはカルバリ後の,つまり復活後の信者であるのです。これは大変大きな違いです。
イエス様はしばしば再臨について語られ,聖書の最後の書である黙示録でもキリストが再び来られることが記されています。いつそれが成るのでしょうか? 知る術はありませんが,私たちはそれに備えなければなりません-あかりを手にして花婿(神の国が来ることの類比)を迎えに出ていく10人のおとめのたとえ話(マタイ25章)のように。それは真夜中のことで,つまり暗闇のイメージで,おとめたちが長い時間待っていたことを強調しています。長い時間待っていたのです。あなたはどうですか? 我々クリスチャンは2000年もの間キリストの再臨を待ち続けています。このたとえ話のポイントは,5人のおとめはあかりに油を用意しており,残りの5人は油を用意していなかった,というところにあります。キリストが神の王国に招くために来られたとき,あなたはどちらであるでしょうか?
クリスマスのお祝いに興奮する前に,私はあなたがたに待降節つまりキリストの降臨comingsについて考えた今朝のような時間を持ち続けることを勧めます。もしあなたが家族の一員であるなら,今年の待降節をどのように一緒に過ごすかについて話し合うことを提案します。もしあなたが独身なら,このテーマに関する議論はすることはないでしょう。アドベントキャンドルの儀式を承継してください。毎日曜の夜,家族のメンバーの一人ずつが食卓のアドベントキャンドルに点火し,そしてそのたびに今日私がお話しした待降節のことを思い起こしてください。
キリストの降臨に関する聖句である,今日引用したルカによる福音書3章の聖句を読むこともできます。また,待降節第一主日にこの教会ですることを選択したように,神の御言を沈思する時を持ってください。聖霊にあなたの魂を次の御言に添わせることを許してください。「主の道を備えよ」(4節)「悔い改めにふさわしい実を結べ」(8節)そして「良い実を結ばない木はことごとく切られて,火の中に投げ込まれるのだ」(9節)続けていいですか? 「下着を二枚持っている者は,持たないものに分けてやりなさい。食物を持っているものも同様にしなさい」(11節) あなたはバプテスマのヨハネを愛するべきです。彼はこう語っています。「私よりも力のある方がおいでになる。」そしてまた,こう言っています。「この方は聖霊と人によってお前たちにバプテスマをお授けになるであろう」そうです,アドベントキャンドルをともすとき,このことを考えましょう。
2008/11/28 JKUC355JKUCメールマガジン(2008年11月28日 第355号)
<2008年11月30日(日) の予定> 9:30 ワーシップ/礼拝 10:30 フェローシップ/交わり 11:00 教会総会(子供たちと中高生はクリスマスの準備や練習があります。) 日本語バイブルスタディーは休会です。 12:00 日本語降誕劇練習 (イブ礼拝で行う降誕劇です。関心のある方はぜひどうぞ!)
<日曜シャトルバス時間表> JR六甲道駅(駅南側のツタヤ向側)9:00 阪急六甲駅(駅北側の池田銀行付近)9:20 教会から各駅へ(教会玄関前) 10:40 乗り場の確認はホームページの写真を参考にして下さい。 http://www.kobeunionchurch.org/page3/page3.html#JR
<11月の教会行事> 29日(土)10時 神戸炊き出し会@小野浜公園 30日(日) 11時 教会総会 (サンデースクールはありませんが、子供たちはクリスマスの歌の練習があります)
<12月の教会行事> 7日(日) 9時半 聖餐式/11時 サンデースクール(2008年最後) 14日(日)9時半 KUCクリスマス礼拝 (大人も子供も一緒に礼拝に出ます。託児はあります。子供の歌や出し物、ユースのプレゼン、クリスマスソングなど。) 24日(水)19時半 クリスマスイブ礼拝 28日(日)11時 通訳者ミーティング *12月14日―1月4日のサンデースクールは休会です。
<子供たちのクリスマスの練習予定> 11月30日(日)11時から教会総会の間に、子供の合同練習 12月7日(日)礼拝後すぐ、短く合同練習(歌のリハーサル)をしてから、サンデースクールがあります。2008年最後のクラスです。 12月14日(日) 本番です。ご家族で礼拝にどうぞ!
<30日(日)の奉仕者リスト> Shuttle Van (Larry): Tetsuo S& Chieko D. Nursery (Haruko): Haruko T & Yuki U. Nursery2 (SS time): Haruko T Children's Church (Yasuo): Megumi M Translation (Masami): Michio C/Ishibashi Trans-equip (Shunji): Shunji M Greeter (E&D): Tomo I. Head Usher: Masateru Preacher: Richard S. Worship (Kim): Lorene A.
<通訳者予定リスト> 12/7 Murayama 14 Saito 21 Chujo 28 Rodda
<KUCクリスマスイブ礼拝の和風劇> 12月24日のクリスマスイブ・キャンドル礼拝で、伝統的な日本の衣装で5-10分の降誕劇を行います。日本語で演じ、スクリーンに英語の字幕を映します。キャストは、ヨセフとマリア役、羊飼いや天使役など子供を入れて、10名くらいです。セリフはほとんど2人のナレーターがカバーするので、演じる人はほとんどセリフがありません。また、大道具、小道具などの準備係りも必要です。12月24日公演予定の「和風降誕劇」の出演・舞台裏準備などに関心ある方は、たにかせまで連絡ください。第2回目の打ち合わせと練習を日曜日の総会後、12時から行います。お昼はカレーがあるといううわさ(?)です。出演だけでなく、大道具、小道具の準備、演出効果、BGM音楽などに関心がある方も、ぜひご参加ください。今後、毎週日曜日に短い打ち合わせと練習を行い、本番に備えます。11月23日(第1回目)、30日(第2回目)、12月7日(第3回目)、14日(第4回目)、21日(リハーサル)。
<神戸クリスマスフェスティバル> 神戸市と近隣地区の福音的キリスト諸教会が中心となって、神戸市民と共にクリスマスを祝う伝道的福音集会が毎年行われています。今回で32回目となる神戸クリスマスフェスティバルは、12月5日(金)午後7時から、大倉山にある神戸文化ホールにて開催されます。入場は無料で託児サービスもあります。神戸ユニオン教会も協賛し、広報(ブログ)を担当しています。また、オープニングにはKUCから8名の外国人が登場して、各国の言葉であいさつの言葉があります。NZ、USA、フランス、インド、フィリピン、中国、マレーシア、シンガポールなど。http://kobe1211.spaces.live.com JKUC355-2JKUCメールマガジン(2008年11月28日 第355号)
<Prayer… No Bubbling!> 弟子たちがイエスに祈り方の説明を求めた時、イエスの答えに最初は彼らはとてもがっかりしたに違いありません。彼らが一体何を予想していたのかはわかりませんが、恐らくマタイ書に記録されている2分ほどの祈り以上のものを期待していたでしょう。「それだけ?手抜きじゃないの?」と彼らが独り言をいったかどうかわかりませんが、でも答えは「いいえ。イエスは最善を尽くされたのです。」
私は後ちょうど2,3週間で18才になるという時にクリスチャンになりました。私の回心は私の人生を変えるものでした。私は当時ニュージーランドの警察官になる訓練を受けていました。突然、私の人生に押し入ってきた神に全焦点が向けられました。一番興味を持ったのは聖書を読むことであり、神に話しかけ、人に何が自分に起こったかを話すことでした。私は神に話しかけました。私はそれが祈りのすべてだと思ったからです。思い起こすと、私は若気で日曜日の午後祈った後気分がよく、3時間も跪いて祈った時は誇らしくさえも思ったものです。ペンテコスト派のキリスト教入門には、「祈る時はくどくどとのべてはならない。」という警告はありませんでした。 私はその後何十年も経つまで、祈りが、まず第一にそして主として待つことであるということ、そして耳を傾けることであることを、理解していませんでした。7日間の黙とうリトリートを初めて経験したのは約20年前のことです。クリスチャンの経験がはじめはペンテコスト派で、次にバプテスト派であった外向型の私にとって、それはときには悲痛なほどつらいものでした。しかし最終的には、人生にとっても、祈りを理解する上でも、私にはまた別の決定的瞬間となりました。
私はその経験を他のバプテスト派の牧師に紹介できる立場にいたことは幸いでした。殆ど例外なく、彼らは不安げでした。長い間彼らは一度も静かに祈ったことがなかったのですから、ある意味頷けます。約束された通り、もし彼らが神の声を本当に耳にすることがあればそれは快いものではないので余計不安だったのでしょう。あなた方が分かっておられるかどうか私にはわかりませんが、いろんな牧師との経験や読書体験から、多くは失敗者とか自分に咎があるという感情に苦しんでいます。超大型教会に育てるように牧師には期待をかけられるけれど、殆どの牧師にはそんなことはできません。今週の朝食祈祷会で、ひとりの参加者が、彼が販売のカンファレンスに出席すると、販売に優れた人が彼らへの動機づけのためのスピーカーとしていつも来ていると述べました。もちろん、昨年度の売り上げにも達しないような人の話なんて誰も聞きたくありません。そしてこの一年わずかな数の新来会者しか来なかったような牧師がいるカンファレンスに誰も行きたくありません。そのような牧師へのメッセージは明らかです。あなたは敗者だ。
ですからこのような牧師の多くは、勇敢な顔つきを務めてし、同じように成長がない牧師とたむろします。そして自分の挫折感を神に投影します。自分たちに失望してしまったら、一体全体神は彼らのことをどのようにご覧になっているのでしょうか?驚いたことに、彼らはほとんど、涙を浮かべ、どのようにして神の深い愛が彼らに伝えられたか、そして週が進むにつれて神様の腕に抱かれているような物理的な感覚を覚えたというメッセージを携えて週末を迎えるのです。
フットボールの競技場やバスケットボールのコートから絶望感を抱いて子供たちが戻ってきた子供のように。お父さんやお母さんに抱きしめられ、その子がどんなに思慮深く、親切で、大切でそんなあなたをどんなに愛しているかと言われている子どもたちのように。もちろん私たちは頑張って取り組むこともできますが、しかし私はあなた方が、見知らぬ人に気づき、だれが傷つき、友達やあなたの親切、家を開放してほしいと願っているのかを気づいてくださるのが大好きです。しかし何よりも、あなたは家族なのです。だからどんなことがあろうともいつもあなたを愛しています。
この惑星のかなり辺鄙なところの一つ、パプア・ニューギニアの高地にあるPahと呼ばれるところであったサイレント・リトリートのことを私は忘れることができません。そこには修道会メンバーであるフィリピン人シスターたちが住んでいて、24時間ごとに五回祈っていました。彼女らは死ぬまで、その辺鄙な世界の片隅に住み続けることに献身していました。彼女らは何をしていたのでしょうか?彼女らはその国のため、世界のために祈っていました。残りの時間は静かにして神の声に耳を傾けていました。それはとても印象的で、私は毎日感銘を受け、午後遅く私がチャペルの横の控えの間に座って彼女らを観察し彼女らの祈りを聞いていました。彼女らは自分たちの命をかけて出来るもっとも素晴らしいことが、祈りに献身することだと理解していました。神とチームを組み、人生の大部分を沈黙の中で過ごし、神に耳を傾け、世界のためにイエスに取りなしをしていたのです。
イエスが最初に言われたのは、くどくどと述べてはならない、神はご自分があたかもアルツハイマー病を患っている理解の遅い子供のように、私たちに(祈りを)繰り返し際限なく繰り返してほしくないのです。ですから、イエスは言われました。「神はベルで起こされる必要はありませんし、また何度も復唱して説得される必要もありません。神は一回目で聞かれます。私たちは、今は待って、聴くことを学ばなければなりません。」
共通言語と簡素な祈り。 イエスの時代にユダヤ人が祈る時は、参拝者は様々な方法で神に話しかけました。しかし神に感銘を与えようと華麗な語句を用いました。「アブラハムの神」「私たちの父なる神」」「祝福された方」「聖なるお方」「権力のある方」など。イエスは「私たちのお父様」を選ばれました。アラム語で「アッバ」です。子どもたちが父親と話す時に用いる言葉です。そしてそれは又尊敬された位の高い人に話しかけるときにも用いられました。でもしばらく父という言葉にこだわってみましょう。私たちの父親のことではありません。たとえ私たちの父親の思い出が良くても悪くても。イエスは放蕩息子のたとえ話の中で、その言葉の意味を再び明らかにされました。その(父親の)優しさ、愛、許し、気配りは受ける価値もないのに与えられ、際限のないものです。 私の最も好きな作家、ユージーン・ピーターソンは一番最近の本の中で、かつて彼の妻と彼はイスラエル行きのエルアルのフライトをフランクフルト空港で待っていたと、書いています。その飛行機に搭乗するのを待っている間に、別のエルアルのフライトの乗客が待合室に入ってきました。彼らが見ていると、おそらく5歳ぐらいでしょうか一人の小さな男の子が突然自分の席から飛び上がり、「アッバ、アッバ、アッバ」と叫びながら、到着した乗客の一人に駆け寄り、父親の腕に飛び込みました。ユージーン・ピーターソンは、「生の言葉としてその言葉を初めて聞くものでした。」と書いています。彼はその言葉を聖書の中で何度も読んでいました。教科書でもしばしば読んだことがありました。説教や学術講演でも頻繁に聞いたことがありました。しかし、彼の知らない子供が、彼の知らない男の人の腕の中に飛び込む時にその言葉を使うのを初めて聞いたのでした。
「その言葉からその二人について何も知ることはありませんでしたが、彼らの関係を知るに必要なものすべてを物語ってくれました。彼らの直接的関係、親密さ、喜びを!」
この礼拝が終わると、私たちはフェローシップホールへ降り、皆で6羽の七面鳥を食べ、感謝します。このような日に思いを馳せるのは、自分の国、家族、健康、友人、教会のことでしょう。しかし私たち人間のように衣服を身につけ、イエスという人物となって死ぬためにこの世に来られた創造主である神に勝る贈り物はありません。それで私たちは神との関係に入ることができ、神のことを道理にかなって「お父さん」と呼ぶことができます。殆ど文字通り私たちを抱きしめてくれる父。なんてすばらしい贈り物なのでしょう。感謝してください。
何年か前、ネルソン・マンデラがニュージーランドに来ました。私たちは当時どこに住んでいたか定かではありません。しかし私たちの長男が、何千人もの人々と一緒に遠くからマンデラを見、彼の独特の声を聞くためにオークランドの中心部まで頑張って出かけたことを話してくれました。デヴィッドは決して忘れることはないでしょう。誰よりもアパルトヘイトの悪に立ち向かい自分の国を変えた男を一目見ようとでかけたことを。一生涯(忘れることはないでしょう。)。 私たちは招かれました。ただ遠くから姿を見るだけでなく、創造主である神と親密になるように。彼の言葉に耳を傾け、彼に語りかけるように招かれました。共同労働者または共同制作者となる様に招いてくださいました。私たちには理解できるだけの想像力はあるでしょうか。それを真摯に受け止め、人生の探求とするときそれが何を意味するのか理解するだけの。 最後に、今日は祈り全体に触れるつもりはありませんが….
御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。 伝統的に、歴史上三つの違った見解があります。 そのうちの二つは、歴史に介入する神は存在せず、歴史は単にそれ自身が繰り返されるのであって、変化を保とうとする私たちの努力は実に空しいものであるという見解をもっています。
ですから、イエスは言います。私たちは共同労働者または共同制作者として神の御国が来ることを祈ります。共同労働者または共同制作者として神と共に働いています。スタンリー・ジョーンズが書いている偉大な伝道師の声明文があります。「祈りによって私たちは神の目的と権力のために力を合わせます。神は私たちを通して、そうでなければご自分ができないことができます。なぜならここは開かれた宇宙であるので、何かが開かれたままにされるのは私たち次第なのですから。私たちがしなければ、そのままになってしまいます。」
ですから祈りはつまらないものではありません。私たちは神の国の人々であるべきです。神の目的と権力のために力を合わせ、世界に神の御国を建て上げるために祈り神と共に働かなければなりません。つまらない祈りとはどういう意味でしょうか。私たちの祈りが自分や家族の当座の必要性のみを祈る時のことです。もちろんそれは私たちの今一番の心配事かもしれませんが、神の御国を建て上げるために神とパートナーを組むようにと誘われています。私たちは目をあげて私たちの周りの緊急の必要を見、最も緊急の必要の真ん中にあって来たるべき神の御国のために神と共に取り組むことはできませんか?
私たちが以前ここに住んでいた時、ヘザーと私はカンボディアのプノンペンで開かれた牧師とその配偶者のための会議に出席しました。ある日の午後、私たちはみんなその市にある拘留センターを訪れました。そこは1970年代には何千人もの人がいて、彼らの罪はただ単に教育を受けていたのが見つかったというもので、彼らは拷問され殺されました。私たちは次にその国中にたくさんあるキリング・フィールド(戦地跡)の一つへ移動しました。私たちが歩いた道のそばには、私たちの足元に白くむき出しになっている人骨や、シャツの切れ端、時には歯などがありました。およそ200万人の人が、その当時のリーダーであったポル・ポトの下で凶悪に拷問され殺されました。
考えさせられる日でした。町に戻り宿舎に戻った時、私は自問しました。「その当時私は何をしていたんだろう?」私の世界は狭いものでした。自分が住んでいる国からほど遠くないところで起こっている悪夢のことを殆ど知らなかったのです。そしてその悲劇は神の心を引き裂いたであろうことを。私たちは神の国の人となり、神を待ち続けることを学び、神が感じることを同じように感じ始め、小さいもの同様大きなものの中でも、私たちの祈りと働きによって神と共に取り組む必要があるということを学ぶ必要があります。
「世界に神の御国を建て上げるための神の有能なパートナーになるには、世界への神のヴィジョンを捉えなければならない。私たちは現状に満足してはいけない。物事を今あるがままにしておくことを良しとしてはいけない。神は私たちにパートーナーとなるように誘っておられます。働きによって、伝道によって、世界のキリスト者となることによって、そして祈りによって。」スタンリー・グレンツ 2008/11/20 JKUC354JKUCメールマガジン(2008年11月20日 第354号)
<2008年11月23日(日) の予定> 9:30 ワーシップ/礼拝 10:30 フェローシップ/交わり 11:00 サンデースクール/教会学校 12:00 感謝祭持寄食事会/Thanksgiving Dinner (今回はターキー代として一人500円も必要です) 13:30 日本語降誕劇打ち合わせ (イブ礼拝で行う降誕劇です。関心のある方はぜひどうぞ!)
<日曜シャトルバス時間表> JR六甲道駅(駅南側のツタヤ向側)9:00 阪急六甲駅(駅北側の池田銀行付近)9:20 教会から各駅へ(教会玄関前) 10:40 乗り場の確認はホームページの写真を参考にして下さい。 http://www.kobeunionchurch.org/page3/page3.html#JR
<11月の教会行事> 22日(土)10時 教会の為の祈り会@ラウンジ 23日(日)12時 サンクスギビングポットラック 26日(水) 9時半 WOW 29日(土)10時 神戸炊き出し会@小野浜公園 30日(日) 11時 教会総会 (サンデースクールはありませんが、子供たちはクリスマスの歌の練習があります)
<12月の教会行事> 7日(日) 9時半 聖餐式/11時 サンデースクール(2008年最後) 14日(日)9時半 KUCクリスマス礼拝 21日(日)11時 通訳者ミーティング 24日(水)19時半 クリスマスイブ礼拝 *12月14日―1月4日のサンデースクールは休会です。
<子供たちのクリスマスの練習予定> 11月23日(日)11時からのサンデースクールの間に10分間ほど歌の練習 11月30日(日)11時から教会総会の間に、子供の合同練習 12月7日(日)礼拝後すぐ、短く合同練習(歌のリハーサル)をしてから、サンデースクールがあります。2008年最後のクラスです。 12月14日(日) 本番です。ご家族で礼拝にどうぞ!
<23日(日)の奉仕者リスト> SS. PreK&K (Ted&Taeko): Seiko&Helen SS. G1&2 (Mary): Mary Z& Megumi M SS. G3-5 (Scott M.): Scott M& YongHe SS. Middle (Alisa): Alisa SS. High (Scott K.): Scott SS. Galatians Study (Jacob): Jacob SS. Japanese Adult (Yasuo): Yasuo Shuttle Van (Larry): Moses P& Larry R Nursery (Haruko): Taeko B & Lynn P Nursery2 (SS time): Harumi C Children's Church (Yasuo): Scott C Translation (Masami): Megumi M Trans-equip (Shunji): Kiyomi M Greeter (E&D): Shirley W. Head Usher: Atsushi T. Preacher: Gerard M Worship (Kim): Kim Y. Organ: Polly S
<通訳者予定リスト> 30 Chujo/Ishibashi 12/7 Maruyama 14 Saito 21 Chujo 28 Rodda
<教会からのレター> 「11月を祈りの月に!」という手紙やメールをジェラルド牧師から受け取られたでしょうか?個人で、夫婦で、家族で教会の為に祈る時を持ちましょう。サンデースクール、ホームスタディー、WOW、ワーシップの練習などの集まりなど、様々な機会に教会の将来や財政、変革について神の導きを求め、祈る時を持って頂きたいと思います。5分、10分という短い時間を頻繁に持つようにしましょう。今週は22日(土)にラウンジで祈り会を持ちます。また、レターのレスポンスとして、祈り会や祈りのグループを始める方は、ぜひご連絡下さい。週報やメールで集まりを案内します。
<KUCクリスマスイブ礼拝の和風劇> 12月24日のクリスマスイブ・キャンドル礼拝で、伝統的な日本の衣装で5-10分の降誕劇を行います。日本語で演じ、スクリーンに英語の字幕を映します。キャストは、ヨセフとマリア役、羊飼いや天使役など子供を入れて、10名くらいです。セリフはほとんど2人のナレーターがカバーするので、演じる人はほとんどセリフがありません。また、大道具、小道具などの準備係りも必要です。12月24日公演予定の「和風降誕劇」の出演・舞台裏準備などに関心ある方は、たにかせまで連絡ください。第1回目の打ち合わせを日曜日のポットラックの食事会の後、1時半くらいに行います。出演だけでなく、大道具、小道具の準備、演出効果、BGM音楽などに関心がある方も、ぜひご参加ください。今後、毎週日曜日に短い打ち合わせと練習を行い、本番に備えます。11月23日(第1回目)、30日(第2回目)、12月7日(第3回目)、14日(第4回目)、21日(リハーサル)。
<神戸クリスマスフェスティバル> 神戸市と近隣地区の福音的キリスト諸教会が中心となって、神戸市民と共にクリスマスを祝う伝道的福音集会が毎年行われています。今回で32回目となる神戸クリスマスフェスティバルは、12月5日(金)午後7時から、大倉山にある神戸文化ホールにて開催されます。入場は無料で託児サービスもあります。神戸ユニオン教会も協賛し、広報(ブログ)を担当しています。http://kobe1211.spaces.live.com
今回、諸教会の信徒が集まってクワイヤーを結成します。大人の「フェイスクワイヤー」と子供の「キッズクワイヤー」とがあります。参加希望者は、楽譜とCDが実費で配布され、各教会で、もしくは各自練習して、11月23日と30日2時半からの2回に渡って、合同練習が行われます。そして12月5日のリハーサル、本番を迎えます。どなたでも参加できます。関心のある方は、牧師までお申し出下さい。
JKUC354-2JKUCメールマガジン(2008年11月20日 第354号)
<Does prayer really work?>
今週祈っておられましたか?いつも以上に、教会のためにと神からの変わる時だよというそっとした後押しによって。そうです、神は個人の祈りも1ダースや20人の人の祈りも聞かれます。しかし、教会の会衆すべてが心をひとつにして祈りに献身する時、なにか特別に力強く効果的なことがあるようです。ですから、教会のために、そして、この教会を愛し、偉大な計画を持っている神のために今週真剣に祈りに献身するように励ましたいのです。仕事に向かって歩きながら、電車に乗りながら、運転しながら(しかし、眼は開けておいてください!)。
今週のわたしたちのテーマは再び旧約聖書の一冊からです。「もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。」
21世紀のわたしたちと土地の癒しとどのような関係があるのでしょうか。この土地はアブラハムとその子孫に約束されたものです。これらの人に対して神がたてた契約のひとつでした。神が望むように彼らが生きれば、神は彼らを繁栄させ、土地を守ると。わたしたちは、この傷跡を残し、汚染された土地のことと合理的にこの意味をとることもできます。しかし、神からのわたしたちへのほかの贈り物のことでもあります。それはわたしたちがその一部である、この教会の家族のことも含んでいます。
We read from the Word of God .. Luke 11:1-10
2,3年前にわたしとヘザーがニュージーランドの首都であるウェリングトンの北の小さな都市に住んでいた時のことです。そこにいる間にペンテコステ派の教会の牧師と知り合いました。その1度しか会わなかったと思います。なぜなら彼は末期ガンを患っていたからです。しかしながら彼は、それは決して末期ではないと確信していました。彼は聞く耳を持つ人すべてに彼は神から神の栄光によって癒されるといわれたと言いました。彼はその生涯を会衆たちに神は祈りを聞かれると教えてきました。わたしたちに必要なのは十分な信仰だけで、わたしたちが願うことは全てかなうと。自分がガンであると分かった時には、教会の会衆に彼と共に信じて祈るように語りました。完全に健康になって戻ってくる以外には他の結末はありえないようにしました。別の教会に招かれて説教をすることがあれば、会衆に彼と共に信仰を持って祈り、来るべき奇跡に関わるように勧めました。しかし、彼の信仰に関わらず、彼と共に祈る人々が増えているにも関わらず、悪くなる一方でした。病床においても、完全に癒されるという信仰を持っていない人は誰も家に入ることを赦しませんでした。彼にとって信仰が鍵で、癒しを疑う人は信頼できませんでした。民の不信仰の故に、イエスが町で奇跡をおこなえなかったことがありました。その牧師は奇跡を約束し、未信者は誰も彼に近づけたくなかったのでした。そして、彼は死にました。打ち砕かれ、幻滅した会衆を残して。一体彼らは何を信じればよいのでしょうか?その牧師が語ったことを信頼することが出来るでしょうか?祈りのポイントは何でしょうか?神は現実でしたか?それとも、いい夢を見たのでしょうか?
これに似た話を持っている人もいるでしょう。クリスチャンの絶対的な信仰をもって祈った話で、あなたの経験や客観性とは合わないことです。クリスチャンのリーダーも未信者と同じように死にます。ある人は若く、ある人は中年で、ある人は老年で。他の人と同様に悲劇に巻き込まれることもあります。私たちすべてが経験することは、私たちが求めたことをいつも手に入れるとは限らないということです。それにも関わらず、祈りは聞かれるかという質問に対する答えは、絶対にイエス!です。
私は3000年以上前の旧約時代の話に戻りたいと思います。皆さんに思いだして考えてほしい2つの話があります。両方の話で、誰かが祈った故に、神は明らかにその思いを変えたという話です。2つの話をする時間はありませんが、1つは自分で読んでください。出エジプト記32章です。今日お話ししたい話はさらに古くて創世記18章にみつけることができます。ソドムとゴモラは神が滅ぼした都市としてわたしたちの多くに知られています。その都市の人々の生き方があまりにもぎょっとさせるものだったので神はその都市とそこに住む全ての人を滅ぼすことにしました。しかし、最終的には全ての人ではありませんでした。その鍵となった人はアブラハムという人でした。神がアブラハムにその都市をどうするか、その街に親族のいたアブラハムに告げたのち、彼は挑戦的に神の前に立ちはだかったと聞いています。「あなたは正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。」彼は神と取引を始めます。「あの町に正しい者が50人いるとしても、それでも滅ぼし、その50人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」神は答えます。「もしソドムの町に正しい者が50人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」それでもアブラハムは満足しません。「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。もしかすると50人の正しい者に5人足りないかもしれません。それでもあなたは、5人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」神は再び滅ぼさないと約束されます。しかし、アブラハムはまだ続けます。「もし、40人なら。30人なら。20人なら・・・。」「主よ、どうかお怒りにならずに、もう1度だけ言わせてください。もしかすると、10人しかいないかもしれません。」そこで神は言います。「その10人のためにわたしは滅ぼさない。」神はアブラハムと語り終わると去って行かれます。そして、アブラハムは自分の家へと帰ります。
ここではいったい何が起こっているのでしょうか。わたしたちは、これを神は操ることができ、わたしたちが何をして欲しいか告げるのをただ待っているお方として基本的に理解してさっさと片付けてしまって良いのでしょうか。そうではないと思います。わたしがここで起こっていると思うことは、神はその民との関係に入るのを待っておられるということ、わたしたちが関わって初めて起こることもあるということです。神は、世界のために神のビジョンを求め、正当な協力関係を始められる人々の共同体を成長させるのに注ぐ関心に境界を設けられました。わたしたちの投資と参加を励まし、神が教える協力関係です。
神はアブラハムを試しているのです。彼が神の赦しと慈悲の心を理解しそれを抱きしめることを。神がその性質に反しているように見える時、自分の神とさえ向き合うように。わたしたちは、神はきまぐれ、気分屋、移り気、だと思っているでしょうか。そうではありません。しかし、神は時としてわたしたちを試すような行動をとられるのです。わたしたちの神の心に対する理解を問い、それがどれくらいゆるぎなくわたしたち自身のものとなっているか試すために。
「スピリチュアリティー成長の道」、そして霊性に関するそのほかのシリーズ本の著者であるリチャード・フォスターは、書いています。「わたしたちの祈ろうとする努力において、はじめから挫折することは容易です。なぜなら、わたしたちは宇宙のすべてはすでに定まっており、物事は変えられない、と教えられているからです。もし何も変えることができないのなら、なぜ祈るのでしょうか。しかし、聖書はそのようにわたしたちを教えてはいません。モーセは勇敢に祈りました。それは自分の祈りが物事を変えられると信じていたからです。神の思いでさえ。事実、わたしたちの耳には神があまりにも人間くさく思えるくらいに聖書は、この宇宙の開かれた様子について強調しています。神がその変わらぬ愛を持ちながら、そのご計画を絶えず変更してゆく様子を聖書は語っています。わたしたちは未来を決定するために神と共に働いているのです。ある種のことはわたしたちが正しく祈れば歴史において実現するのです。わたしたちは祈りによって世界を変えることが出来ます。
そうです、わたしは祈れば違いを生むと信じています。そして、わたしたちが祈らないと選択することによっても違いは生まれます。そういう意味では祈りは効くのです。しかし、幸運のお守りをこすったり、神を脅したり操ったりしてわたしたちの欲しいものを手に入れられるということではありません。神はこの世界とわたしたちの人生に対するご自分のビジョンをお持ちで、しかしながら、そのビジョンがどのように実現するかにおいて協力の余地をのこしておられるのです。これはあなたの助けになるかもしれませんし、ならないかもしれませんが、わたしは子供たちを育てた時のかかわり方のように考えたいです。何度、自分でやってしまうことのほうが簡単だったでしょうか。しかし、息子たちが学び、能力を身に着け、人格を形成するのに彼らを関わらせることのほうがどれほど良い子育てだったでしょう。あるとき住んでいた家の簡単な手直しをしました。ジョンは、金づちで打つこと、のこぎりを使うこと、小屋を建てることが大好きでした。ですから一緒に手直しをしました。彼はやがて自分の家を2軒建てました。わたしは、彼と幼い時に組んだ、わたしたちの協力体制が、彼をわたしのつつましやかな技量をはるかに超えることへと導く種を植えたと考えたいのです。
休暇の計画を立てなければいけない時期だと判断したと気がありました。ある程度の制限とともに、わたしたちは息子たちに言ったものです。「何がしたい?」「どこへ行ってみたい?」教会に約束している以上の額を献金したいと思うときには、ときとして、ある程度の制限とともに息子たちにも関わらせました。この話し合いは結論を出すにあたって重要なものとなりました。家族の取り組みとして素晴らしいものでしたし、彼らを成長させ、自分の価値をはぐくむ助けとなりました。
反面、子供たちにだめだ、ということもありました。それもまた、よい訓練でした。これが、わたしたちを3つ目の話へと導きます。話というよりは、人生を一見することです。パウロは彼の手紙のひとつの中ほどで、突然に非常に個人的なことに言及します。彼はそれ以前に、神と共に人生を転換させる出来事を経験していました。ビジョンを見た、もしくは、まさに神の臨在のなかに吸い上げられたのです。確かなことはわかりません。それがどのようなことであったにせよ忘れがたいものでした。そしてパウロは続けます、彼が神とのその驚くべき体験によって傲慢にならないように神は彼の体にとげと彼が呼ぶものを与えたというのです。彼がどのようなことを言っていたのか確かなことはわかりません。ある推測ではマラリアであり、他は目の病であったと考えています。
パウロ自身は説明していません。しかし、彼がわたしたちに語っていることは、彼は祈ったということです。神に彼を癒してくださるように!もちろんそうしたでしょう。それは効いたのでしょうか。そう、非常に輝かしく効きました。しかし、彼は癒されませんでした。説明しましょう。パウロは神に3回その彼を衰弱させる病またはけがを癒してくださるように頼みました。しかし、そのたびに彼の状態は変わりませんでした。ですから彼は、神がこう告げるまで、頼み続けました。「あなたに必要なのはわたしの憐れみだけだ。わたしの強さはあなたの弱さのうちに現れる」何がここで起こっているか理解できますか。神はパウロに、神の仕事は時として全権を有する、強さによって自立した人よりも依存している人、弱さのうちにもっともよく成されるということを理解させようとしていたのです。パウロが忍耐しなければ彼はこの教訓を学ぶことはなかったでしょう。そして、非常によくパウロの言葉によって力強く励まされるわたしたちが学ぶことも。
後任のアメリカ大統領が語ることによってあらゆる人種の人、ジェシー・ジャクソンを含めて、感動させ、涙を浮かべさせるのをみて、あなたは言うことでしょう。「なんと雄弁な」と。もっとぶざまで、視力に乏しく、スピーチの途中でつまづき、どもり、それで群衆が感度で涙するのを見たら、あなたはきっとこういうでしょう。「いったいここで何が起きているのだ。理解できない」と。
神の協力者は鮮明に聞き、その祈りにおいて忍耐しなければなりません。これが先に読んだイエスの話のポイントです。夜中に友人が訪ねてきたから、と言って男が近所の人をドアを叩いて起こします。彼は家の中に食べ物がないので非常に恥ずかしく思っています。近所の人は最初ベッドから出てくる気はありませんでした。そこで、恥ずかしくおもっている主人はドアをたたき続けます。さらにやかましく。ドアが開いて食糧を手に入れるまで。ポイントは神はわたしたちから聞くのはいやがるということではありません。これは対照的なたとえ話というもののひとつで、わたしたちの周りにもその頭に毛布をかぶってわたしたちを助けたくない隣人がいるかもしれない、が、神は決してそのようなお方ではありません。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」しかし、わたしたちが思うほどにすぐには、もしくは、わたしたちが考えるような方法では起こらないかもしれません。パンかもしれませんし、魚かもしれません。神は聞き、神は救助されます。なぜなら神は、わたしたちに協力して欲しいからです。その過程において、わたしたちが忍耐すれば、わたしたちはもっと学び、成長し、神との関係はより強力になります。
ですから、子供のために祈れば、彼らの人生にある種のことが起こります。これは祈らなければ起こりません。だれかとの困難な人間関係にてういて祈れば、祈らなければ起きない種類のことが起きます。そして、わたしたちがこの教会のために、この非常に多様な共同体における強い家族の絆と愛について祈れば、もしその計画を達成するための源のために祈れば、もし上記すべてに対する応答の一端を担うことを祈るなら、祈る時間を持たなかったなら決して起こりえないことが起こるでしょう。リチャード・フォスターの言葉に、祈る時にのみ起こる事柄がある。でなければなぜ祈るように勧められるのか?将来を決定するために神と共に働いているのです。それを信じますか? 2008/11/13 JUKC353JKUCメールマガジン(2008年11月13日 第353号)
<2008年11月16日(日) の予定> 9:30 ワーシップ/子供祝福礼拝 10:30 フェローシップ/交わり 11:00 サンデースクール/教会学校 12:00 ハイキング(-16時) 14:00 祈り会@川部宅
<日曜シャトルバス時間表> JR六甲道駅(駅南側のツタヤ向側)9:00 阪急六甲駅(駅北側の池田銀行付近)9:20 教会から各駅へ(教会玄関前) 10:40 乗り場の確認はホームページの写真を参考にして下さい。 http://www.kobeunionchurch.org/page3/page3.html#JR
<11月の教会行事> 15日(土)10時 教会の為の祈り会@ラウンジ 16日(日)9時半 子供祝福式(礼拝の始めに)ジェラルド牧師によって子どもたち(12歳以下)に祝福のお祈りがあります。伝統的には神社の七五三の季節ですが、ぜひ教会の子供祝福式にご参加下さい 16日(日)正午 ハイキング(お弁当や飲み物などをお忘れなく) 16日(日)14時 祈り会@川部宅 19日(水) 9時半 WOW 23日(日)12時 サンクスギビングポットラック 26日(水) 9時半 WOW 29日(土)10時 神戸炊き出し会@小野浜公園
30日(日) 11時 教会総会
<12月の教会行事> 7日(日) 9時半 聖餐式 14日(日)9時半 KUCクリスマス礼拝 21日(日)11時 通訳者ミーティング 24日(水)19時半 クリスマスイブ礼拝 *12月14日―1月4日のサンデースクールは休会です。
<9日(日)の奉仕者リスト> SS. PreK&K (Ted&Taeko): Taelp&Anne SS. G1&2 (Mary): Mary Z.& Megumi M SS. G3-5 (Scott M.): Scott M& YongHe SS. Middle (Alisa): Alisa SS. High (Scott K.): Scott SS. Galatians Study (Jacob): Jacob SS. Japanese Adult (Yasuo): Yasuo Shuttle Van (Larry): Chieko D.& Shinjiro K. Nursery (Haruko): YongHe&Byun Nursery2 (SS time): Haruko T. Children's Church (Yasuo): Ted. K Translation (Masami): Hiroko H. Trans-equip (Shunji): Akiko O. Greeter (E&D): _______________ Head Usher: Atsushi T. Preacher: Gerard M Worship (Kim): Kim Y. Organ: Mayumi O.
<通訳者予定リスト> 23 Miyatani 30 Chujo/Ishibashi 12/7 Maruyama 14 Saito 21 Chujo 28 Rodda
<教会からのレター> 「11月を祈りの月に!」という手紙やメールをジェラルド牧師から受け取られたでしょうか?個人で、夫婦で、家族で教会の為に祈る時を持ちましょう。サンデースクール、ホームスタディー、WOW、ワーシップの練習などの集まりなど、様々な機会に教会の将来や財政、変革について神の導きを求め、祈る時を持って頂きたいと思います。5分、10分という短い時間を頻繁に持つようにしましょう。今週は15日(土)にラウンジで祈り会を持ちます。また、16日(日)午後2時から六甲にお住まいの川部さん宅で開かれる予定です。また、レターのレスポンスとして、祈り会や祈りのグループを始める方は、ぜひご連絡下さい。週報やメールで集まりを案内します。
<KUCクリスマスイブ礼拝の和風劇> 12月24日のクリスマスイブ・キャンドル礼拝で、伝統的な日本の衣装で5-10分の降誕劇を行います。英語の台本出来ています! 日本語に訳し、当日は日本語で演じ、スクリーンに英語の字幕を映します。キャストは、ヨセフとマリア役、羊飼いや天使役など子供を入れて、10名くらいです。セリフはほとんど2人のナレーターがカバーするので、演じる人はほとんどセリフがありません。また、大道具、小道具などの準備係りも必要です。12月24日公演予定の「和風降誕劇」の出演・舞台裏準備などに関心ある方は、たにかせまで連絡ください。まず「読んでみてから考える」という方も、ぜひご連絡下さい
<神戸クリスマスフェスティバル> 神戸市と近隣地区の福音的キリスト諸教会が中心となって、神戸市民と共にクリスマスを祝う伝道的福音集会が毎年行われています。今回で32回目となる神戸クリスマスフェスティバルは、12月5日(金)午後7時から、大倉山にある神戸文化ホールにて開催されます。入場は無料で託児サービスもあります。神戸ユニオン教会も協賛し、広報(ブログ)を担当しています。http://kobe1211.spaces.live.com
今回、諸教会の信徒が集まってクワイヤーを結成します。大人の「フェイスクワイヤー」と子供の「キッズクワイヤー」とがあります。参加希望者は、楽譜とCDが実費で配布され、各教会で、もしくは各自練習して、11月23日と30日2時半からの2回に渡って、合同練習が行われます。そして12月5日のリハーサル、本番を迎えます。どなたでも参加できます。関心のある方は、牧師までお申し出下さい。 JKUC353-2JKUCメールマガジン(2008年11月13日 第353号)
<Godliness, doing what Jesus would do>
今日は一つのラブストーリーから始めたいと思います。40年以上もの間続いたラブストーリーです。22歳の男性が一人の若い美しいオルガン奏者に出会いました。二人はデートをはじめ、彼はだんだん彼女にひかれて行きました。二年ほどして彼は彼女に結婚を申し込みました。最初彼女は心をきめかねました。彼女には考える時間が必要でしたし、彼のことをもっと研究したいと思いました。しかしとうとう彼女は決心し、かれこれ44年前のクリスマスの翌日(12月26日)二人は結婚しました。新郎は幸せな結婚に関して入手出来るものすべてを読んでいました。自分がする結婚の誓約について深く考え、結婚式を挙げる日自分の誓いの言葉に確信を持っていました。自分はこの世で最も愛すべき、思慮深い夫になるであろうと。
どんなに多くの恋愛関係がこんな風に始まり、でも結局お互いに幻滅を感じ、愛情が薄れ、離婚が避けられないものに終わってしまうでしょうか?もしお互いの関係が強まり、成長を続けるものであるべきであるなら、夫婦どちらも努力しなければなりません。ご想像通り、このラブストーリーの男性は私です。私は、まもなく気付きました。私たちの結婚がすべてであるべきなら、そのようになるであるだろうし、私たちの愛情はより深まるであろうと。でも本を読むだけでは十分ではないと気付きました。私は努力しなければならないのです。自分の新妻をよりよく知るために、彼女の考えを知り、彼女の必要を知り、彼女の変化を知るために時間をかける必要がありました。私は一生懸命努力しなければなりません。彼女に注意深く耳を傾け、思いやり、彼女のためにドアを開けてあげるというように親切で、家事を手伝いことを学ばねばなりませんでしたし、また彼女が感情的に、社会的に、精神的に満たしてあげるように最善を尽くすようにしなければなりませんでした。どのようにしたら彼女を喜ばすことが出来るのかも学ぶ必要がありました。自分のことよりも、彼女の必要と満足を心がけることを学ばねばなりませんでした。
それはどんな関係においても同じことです。神との関係もしかりです。神がこの愛の関係を始められたのです。イエスを通して、神は赦しと和解を可能にされました。神は私たちを家族の一員にしたいと思っておられます。この世界を変えるにあたり、神は私たちに協力を望んでおられます。私たちが神とのそのような関係を望むならば、「はい、そうします。」という言葉以上のものが必要となります。何が神を喜ばせるのか判断し、神を喜ばせることを優先させるためには、神の言葉に耳を傾けることを学ばなければなりません。私たちは信仰のある生活をするとはどういうことなのかとか、目に見えない神の世界の真理の中での生活はどういうものかを学ぶ必要があります。自己中心的ではなく、誠実な人物になることに心を砕く必要があります。二番手のことのために最良のものを締め出してしまうことがないように、私はもっと自制心をつける必要があります。こんな生き方をするのはとても厳しい時もありますし、また時にはうっとうしいことさえありますが、そんな時でも屈せずにやり通すことを決意しなければなりません。
一番最新のものは、殆どの聖書が“godliness”(信心)と訳している言葉です。「忍耐には、信心を。」ギリシャ語は“eusebeia”で、理解し難い言葉です。より古い本には今日あまり使われない「敬虔」という意味の言葉が用いられています。もっと最近の解説書には「神を中心とする... 神に完全に焦点をあてる... 神のようになる」という言葉が示唆されています。でもそれはどういう意味でしょうか?目に見えない神がどのようなものなのか、どうして分かるのでしょうか?その質問をインターネットで調べれば、おそらく何千という答えがあるでしょう。でもクリスチャンからは一つの答えが得られるべきです。神がどのような方か知りたいですか?イエスを見てみましよう。ある時、イエスの一人の弟子が神がどんな方か自分たちに教えてほしいと頼みました。イエスは答えられました。「私を見た者は、父を見たのだ。」イエスを信じ、イエスの弟子となった者たちはついに「神の存在をまさに具象化したものであり、御子は見えない神の姿である。」とイエスを表現しました。ですから信仰の厚い人になるとは、イエスのような人になりたいと心をきめることであり、そうする時、神のようになる旅路に出ることなのです。マーク・ブキャナンは忍耐の後に信心が続くという事実に重要性を認めます。なぜならイエスのような人になることに希望を託すのは、一生の追及であり、それを超越したものかもしれません。私たちは成長できるし、成長しなければなりません。しかし、このこの世の人生を超越してはじめてゴールに到達するでしょう。イエスのような人になり、それにより神に似るようになるように希望を託すとはいったいどういういみでしょう?
ティム・ケラーはニューヨークの救世主キリスト長老派教会の牧師です。マンハッタンにしっくりあった大きな教会で、1989年の設立以来会衆は6000名以上に成長しました。この教会がユニークなのは、アメリカのバイブルベルトと言われる地域にはないということです。ティム・ケリーに言わせれば、そこはシニカルベルトの中心で、人口の多くは無神論者、不可知論者や懐疑論者で構成されています。つまり、神のことはすべてナンセンスだと考える人が大半であるということです。今年彼は一冊の本「The Reason for God」を出しました。その中で彼がニューヨーカーから聞いた多くのキリスト教への反論を取り上げ、その一つ一つに答えています。前半では彼は疑問と反論に対処しています。後半では、信仰の妥当性について賛成の議論をしています。この本の中のある一章では、彼は三位一体というキリスト教のユニークなキリスト教の信仰から始めています。つまり神性は父と子と聖霊とから成り立っているということです。イスラム教徒はクリスチャンが三つの神を信じていると非難します。しかしそれはキリスト教の信仰ではありません。私たちは神は家族に似ていると信じています。お互いに関係して生きる一つの神性。西洋に生きている私たちはこの考え方に苦悶します。私たちは個人として自分のことを考えます。何をしようか、自分のお金の使い方、家を建てようか購入しようか、休暇にどこに行こうかなど、私たちは一人で決めます。
しかし私たちがパプア・ニューギニアに住んでいた時、西洋とは違った世界の一つである一つの文化を発見しました。そこではすべての人が、“won tok”つまり一つの言語、同じ言語を話すコミュニティーの一部であるとみなしています。ですから、お金ができれば皆で一番よい使い方を決めます。一人の若者が結婚したいと思ったとき、彼は自分の実家の村に帰り、彼の結婚相手が両親とともに決められました。教育も同じです。そして仕事も、共同界全体が決定を下すのです。ですから、共同体での一つの神の考え方はこれらの人々には理解できるのです。そして同じような文化背景を持った人々には。ケラーはさらに続けて、ヨハネの福音書の中で、御子であるイエスは聖霊が自分に栄光を与えるために存在するのだと記述していると、説明します。(ヨハネ書16章14節)次に、御子は父の栄光を現わします。(17章4節)その父は御子に栄光を与えてくださいます。(17章5節)これは永遠に続きます。(17章5節)この「栄光を与える」という言葉は一体どういう意味なのでしょうか?ケラーは、それは賛美すること、喜ぶこと、楽しむことだと説明します。それはまた仕えること、他人に従うこと、自分の興味、関心事を犠牲にすることを意味します。ですから三位一体の神、あるいは神格の精神生活は自己中心性によって性格づけられるものではなく、相互的な、自己犠牲愛に特徴づけられるものです。神のそれぞれの人格は他人に向けられ、お互いが自発的に愛、喜びと崇拝を注ぎながら、他の二つを取り巻いています。イエスに従ってくる人々のために父なる神に祈られました。「天地創造の前から私を愛して、与えてくださった私の栄光を、彼らに見させてください。」(ヨハネ書17章24節)このことから、愛が神の中心であることがわかります。そしてイエスを通して私たちに顕されたこの栄光ある神のようになることであり、愛のある人々になることを学ぶことを意味しています。
今日の私たちに、この聖書が説く愛、ギリシャ語のアガぺ、を厳密に理解することは難しいことです。イエスの生き方、人々への接し方を見て、もう一度理解しなければなりません。確かにそれは寛大であることを意味します。かつて語られたもっとも素晴らしい話の中で、無分別で、自分の財産の分け前を要求し、家出し、親の顔に泥を塗った一人の少年の話から始められました。彼は愚かな決断をし、とうとう自暴自棄になり使用人として雇ってもらおうと実家に戻ってきます。かれの父親は、自分が辱められ傷つけられたにもかかわらず、彼の帰還を大歓迎で受け入れ、息子として自分の家族に、共同体に、使用人たちの中に復帰させたのです。神の愛は途方もないものです。信じがたいくらい寛大で、度量の大きいものです。受けるに値するもの以上を与えてくださいます。「天が地を超えて高いように慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。」(詩篇103編11節)
「神は私たちを咎め立てすることなく惜しみなく与えてくださる」とヤコブは言います。(ヤコブの手紙1章5節)そして神を最も完璧に顕しているイエスは、私たちの予想をはるかに超えて、すべてにおいて与えてくださいました。最高に寛大で、この世から見捨てられた人々や、子供や婦人たちに手を差し伸べ、イエスを必要とする人には惜しみなく時間をとり、赦しにも寛大で、なかんずくこの世の罪のために究極の愛を示す形として、ご自分の命を惜しげなく捧げられました。
もし私が自分の生き方を似せる人の名前を一人あげるように求められたとすれば、グレーム・マレーをあげます。グレームはご察しの通り、ニュージーランド人で、すでに退職した高校教師です。彼はその人生のほとんどを、インドの大きなミッションスクールの校長として過ごしました。その後ニュージーランドに戻り、低所得者層が住む町の、大半がポリネシア人の公立学校の校長になりました。グレームはミッション、特にインドの亜大陸に興味を持ち続けました。ある時私たちはバングラデシュに一緒にいました。私たちはダッカから数人の宣教師が住んでいる小さな市へと車で向かっていました。バングラデシュには幾つもの大きな川があります。その中には橋を架けるには川幅が広すぎるものが幾つかあり、私たちは小さな車とフェリーで渡らねばなりませんでした。私はこの時のことを時々思い出すのですが、そんなある川のそばでフェリーを待っていました。バンから降りて、多くの地元の人と一緒に立っていました。その地元の人の中に、色あせ破れたサリーを身につけた一人の小柄な皺だらけの老婦人がいました。彼女はしゃがんで、空の手を前につき出していました。彼女の近くにバナナ売りの男が一人いました。この二人がグレームになんとかしてくれと懇願していました。私は彼を見ていました。というのはほかのだれもがただ粗野に彼らを追い払うか、無視していたからです。彼は、取るに足らない最貧困層の彼らに気付きました。彼は微笑み、彼らに話しかけました。彼は自分の知っている人々や富裕層を扱うのと同じ尊敬の念を以て、彼らを神の姿に似せて作られた人間として扱ったのです。グレームの目には、彼らが等しく映ったのです。フェリーが近づいてくると、幾らかの金を取り出してバナナを買い、そしてそれをその婦人の手に置いたのです。大したことであはりませんが、貧乏人が軽蔑を持って扱われる極端に貧しい国で、私はその日イエスを自分の目で見たと信じました。私たちみんながこのように寛大な心で他人に対処することを学んだならば、どんな世界になるでしょうか?
最近南アフリカから届いた最近の話をさせてください。か弱い黒人の女性がゆっくりと自分の足で立ちあがりました。彼女は70歳を超えています。部屋の反対側には彼女の方を向いて、数人の白人の護衛警官がいました。その中の一人、ヴァン・デル・ブロークが裁判にかけられ、その何年も前の彼女の息子と夫の殺人に関係していることが判明したのでした。それは確かにヴァン・デル・ブロークで、何年も前にその女性の家に来て彼女の息子をつれ去り、至近距離から彼を撃ち、その若者の死体に火をつけ、彼と警官が加担していたことが判明しました。それから数年後、ヴァン・デル・ブロークと彼の仲間は戻ってきて、同じように彼女の夫もつれ去ったのです。何か月もの間、彼女は彼の居場所を耳にすることはありませんでした。それからほぼ二年後に、彼は彼女自身を誘い出そうと戻ってきました。彼女はその夜のことをはっきりと覚えています。川のそばに連れていかれそこで、縛られ打たれ、それでも気丈な彼女の夫が材木の山に横たわっているのを見せられたのでした。警官たちが彼の体の上にガソリンをかけ火をつけたときに、彼女が彼の口から聞いた最後の言葉は「神様、彼らをお許しください。」というものでした。さてその婦人は法廷にたちヴァン・デル・ブロークの供述を聞いていました。南ア真実委員会のメンバーは彼女の方を向いて尋ねました。「それで、どうしてほしいですか?これほど凶悪にあなたの家族を滅ぼしたこの男性にどのように正義をするべきですか?」
「私は三つのことを希望します。」とその婦人は静かに自信深げに言いました。「まず第一に、彼の遺骨を集めしっかりと埋葬できるように、夫の遺体が焼かれたところへ連れて行ってほしいです。」彼女は息を継ぎ続けました。「私の夫と息子は唯一の家族でした。ですから二つ目に、ヴァン・デル・ブロークに私の息子になってもらいたいのです。そして彼に月に二回私の住んでいる居住区に来てもらい私と一緒に一日過ごしてほしいのです。そうすれば、私の中にまだ残っている愛を彼に注ぐことができますから。」「そして最後に、」と彼女は言いました。「三つ目は、ヴァン・デル・ブロークに、イエスキリストが赦しのために死んでくださったので、私が彼に許しを与えるのだということを知ってほしいのです。それはまた私の夫の望みでした。だから、誰か私のそばにきて下さり、法廷を横切って彼のところへ連れて行ってくださいませんか。そうすれば、私は彼を自分の腕に取り、彼を抱きしめ、彼が本当に許されたのだということを彼に示すことができます。」法廷のアシスタントが法廷を横切って、今まさに耳にした言葉に圧倒され気絶したヴァン・デル・ブロークのところに彼女を連れて行きました。彼と同じように、法廷にいた友人、家族、隣人、それに何十年にもわたる圧政、不義、残虐行為の犠牲者たちは静かにしかし力強く歌い始めました。「アメージング・グレース、なんと甘美な響きでしょうか、私のような不運な人を救ってくださった。」
この歌を歌う前に、イエスの寛大さを備えた人々で満ちた教会、世界を想像してみてください。赦しに寛大で、人間の想像を超え理由もなく寛大で、大いに賛美し、大いに人を勇気づけ、友情ぶかく、人のことに耳を傾け、他人にイエスの話を語り、愛に飢えた多くの人々に神の愛が示され始め、そして信心が深められる教会や世界を。 JKUC352JKUCメールマガジン(2008年11月6日 第352号)
<2008年11月9日(日)の予定> 9:30 ワーシップ/礼拝 10:30 フェローシップ/交わり 11:00 サンデースクール/教会学校 (午後、カウンシル役員会があります)
<日曜シャトルバス時間表> JR六甲道駅(駅南側のツタヤ向側)9:00 阪急六甲駅(駅北側の池田銀行付近)9:20 教会から各駅へ(教会玄関前) 10:40 乗り場の確認はホームページの写真を参考にして下さい。 http://www.kobeunionchurch.org/page3/page3.html#JR
<11月の教会行事> 9日(日) 10時45分 EKK礼拝 12日(水) 9時半 WOW 16日(日)9時半 子供祝福式(礼拝の始めに) 19日(水) 9時半 WOW 23日(日)12時 サンクスギビングポットラック 26日(水) 9時半 WOW <12月の教会行事> 7日(日) 9時半 聖餐式 14日(日)9時半 KUCクリスマス礼拝 21日(日)11時 通訳者ミーティング 24日(水)19時半 クリスマスイブ礼拝 *12月14日―1月4日はサンデースクールは休会です。
<9日(日)の奉仕者リスト> SS. PreK&K (Ted&Taeko): Ted&Helen SS. G1&2 (Mary): Mary Z.& Megumi M SS. G3-5 (Scott M.): Scott M& YongHe SS. Middle (Alisa): Alisa SS. High (Scott K.): Scott SS. Galatians Study (Jacob): Jacob SS. Japanese Adult (Yasuo): Yasuo Shuttle Van (Larry): Tomo I.& Shinjiro K. Nursery (Haruko): Deborah&Seiko Nursery2 (SS time): Haruko T. Children's Church (Yasuo): Elizabeth Translation (Masami): Keiji F Trans-equip (Shunji): Megumi S. Greeter (E&D): _______________? Head Usher: John S Preacher: Gerard M Worship (Kim): Yasuo T Piano: Sora Organ: Polly S.
<通訳者予定リスト> 16 Hayase 23 Miyatani 30 Chujo/Ishibashi
<教会からのレター> 「11月を祈りの月に!」という手紙やメールをジェラルド牧師から受け取られたでしょうか?個人で、夫婦で、家族で教会の為に祈る時を持ちましょう。サンデースクール、ホームスタディー、WOW、ワーシップの練習などの集まりなど、様々な機会に教会の将来や財政、変革について神の導きを求め、祈る時を持って頂きたいと思います。5分、10分という短い時間を頻繁に持つようにしましょう。 今週土曜日10時からワーシップの練習で集まりますが、初めの10-15分を教会の為の祈りの時間としたいと思います。ワーシップチームでない方も、この短い祈りの時間に参加頂けます。お時間の許される方は、お越し下さい。また、レターのレスポンスとして、祈り会や祈りのグループを始める方は、ぜひご連絡下さい。週報やメールで集まりを案内します。
<KUCクリスマスイブ礼拝の和風劇> 12月24日のクリスマスイブ・キャンドル礼拝で、伝統的な日本の衣装で5-10分の降誕劇を行います。英語の台本出来ています! 日本語に訳し、当日は日本語で演じ、スクリーンに英語の字幕を映します。キャストは、ヨセフとマリア役、羊飼いや天使役など子供を入れて、10名くらいです。セリフはほとんど2人のナレーターがカバーするので、演じる人はほとんどセリフがありません。また、大道具、小道具などの準備係りも必要です。12月24日公演予定の「和風降誕劇」の出演・舞台裏準備などに関心ある方は、たにかせまで連絡ください。まず「読んでみてから考える」という方も、ぜひご連絡下さい
<神戸クリスマスフェスティバル> 神戸市と近隣地区の福音的キリスト諸教会が中心となって、神戸市民と共にクリスマスを祝う伝道的福音集会が毎年行われています。今回で32回目となる神戸クリスマスフェスティバルは、12月5日(金)午後7時から、大倉山にある神戸文化ホールにて開催されます。入場は無料で託児サービスもあります。神戸ユニオン教会も協賛し、広報(ブログ)を担当しています。http://kobe1211.spaces.live.com
今回、諸教会の信徒が集まってクワイヤーを結成します。大人の「フェイスクワイヤー」と子供の「キッズクワイヤー」とがあります。参加希望者は、楽譜とCDが実費で配布され、各教会で、もしくは各自練習して、11月23日と30日2時半からの2回に渡って、合同練習が行われます。そして12月5日のリハーサル、本番を迎えます。どなたでも参加できます。関心のある方は、牧師までお申し出下さい。
<12月の通訳ミーティング> 12月21日(日)11時から12時までジェラルド牧師を交えて、通訳者会を開きます。
JKUC352-2JKUCメールマガジン(2008年11月6日 第352号)
<Going the Distance>
これらのみ言葉の中でより重要なもののひとつは”may”です。これはあなたを驚かすかも知れません。しかし、それが意味することはそれ以前に出てくることなのです。それは、神がキリストをとおして行ったことであり、わたしたちの人生を変えるかもしれませんし、変えないかもしれません。この神からの素晴らしい贈り物をわたしたちが受け取るかどうかによるのです。ペテロが述べたことを言い換えることによってはっきりさせたいと思います。
神の力、彼の招き、彼の栄光と良さは、わたしたちの人生と神との関係に必要なもののすべてをわたしたちに与えてくださっています。わたしたちの神を知りたいという決心とパートナーとして歩み始めることをとおして。ですから、あなたが与えられているものを立上げるのに一分も無駄にしてはいけません。
神はなさりたいのですが、わたしたちもそうです!
体重を減らしたいと思うのと少し似ていると思います。わたしたちは試しましたが成功しませんでした。誰かが確実に体重を減らしてくれるという人を教えてくれます。しかし、その人を信頼して言うとおりにしなければなりません。あなたはその通りにします。言われたとおりに食べ、それ以上は食べません。言われたとおりに運動します。そして、それは効果があります。
わたしもあなたもその人生を神と生きるようにと造られました。神はこの世界を作り変えられるおつもりです。そして、特筆すべきことは、これをわたしたちを通して行いたいと思っておられることです。しかし、わたしたちが真摯であって初めて実現します。なによりも神のパートナーであり協力者でありたいと願わないといけません。これが美徳のリストについて説明してくれます。イエスがどのように生きたかを示してくれます。信仰から始まり徳、知識、自制、忍耐、信心、兄弟愛、そして愛へと続けます。これらの美徳をわたしたち自身の人生に望むにつけ、神は今、わたしたちとともに歩んでおられ、助けてくだ去ることを知ります。しかし、わたしたちは、焦点を定めなければならず、それを最優先とし、しつけを訓練されなければならないのです。
みなさんの今日のニュースレターの中に差し込みが入っています。今年の初めに良い人生を生きるとはどういうことかをより良く理解するために書いたものです。書くという行為だけでも神がわたしになって欲しいと望んでいる人、夫、父、牧師、隣人になろうという決心を助けてくれました。これを壁のどこかに張るように言っているわけではなくて、あなたにアイディアを与え、自分のために似たようなことをしてみてはどうかと勧めたいのです。
1. Self control 自制
これがわたしたちを驚かすはずがありません。自制なくして何か価値のあることを成し遂げられる人がいるでしょうか。みなさんは、ギリシャ語にはわたしたちがしたいと思うことと、実際にすることの間の葛藤の仕方を示す言葉が四つあることに興味をしめすかもしれません。ひとつは、すべての感情や感覚は有害でそれを無視しようとすることを意味するもの。これは、わたしの理解では、仏教の思想に似ていると思います。もうひとつが示すのは、ある人物が完全に規制がなく、自分の人生を感情や情熱のままに生きる様です。三つ目は、感情や中毒的行為に悩みながらもそれらにコントロールされている様を表しています。そして、四つ目ですが、ペテロが使ったもので、コントロールされていれば、感情や気持ちを良いものとして取扱う人のことです。
2年半前にわたしたちの息子の1人がアイアンマンのトレーニングを始めました。わたしがなんの話をしているかお分かりにならないかたもいるかと思います。12から18時間かけて完走するイベントのことです。4㎞泳ぎ、180㎞自転車をこぎ、42㎞のフルマラソンを走ります。これを完走するチャンスを得るためには、レースは真夜中までに完走されなければなりません、挑戦者たちは前の年の大部分においてかなり真剣にトレーニングしなければなりません。ジョンは、毎週18時間余りを9か月費やしました。最終的には希望が打ち砕かれるような終わり方でした。彼が完走できなかったというのではなく、天候の都合でレースはキャンセルされたのです。あなたもそうであるだろうように、彼はとても打ち砕かれていました。これほどの時間を水泳、サイクリング、ランニングに、すべての季節、天候の中で費やしたのに、イベントは、ニュージーランド史上はじめてのキャンセルに!彼は今年の始めにチャンスを得て、日本人のグループも含む1500人余りの人と、12時間ほどで完走しました。
なぜこの話をするかというと
自制、規律、重要性の低いゴルフや夜更かしは単純に手放さなくてはならないという決断なくしてはどのような意味のあることもなし得ないのです。
第二に、大きな犠牲を伴う大きな目標を立てるのなら、価値のある目標であることを確認して下さい。ジョンは最終的には非常に著しい結果を得ました。しかし、キャンセルされた時点では、時間と努力の非常な無駄をしたように思えました。
神を求めること、神の王国の進展のために神と協力し始めること、祈るにつれて物事が変化するのをみること、わたしたちの人生に語りかける神の声に気付くこと、人生がそうであって欲しいと願うように、人生最大の冒険へと、わたしたちの要求が自分の時間と労力を使う上で優先にするように変わることに気付きます。ですから、ここでの疑問点は、ペテロの言葉をこの手紙の中から読むにあたって、これらはわたしたちにとってどれくらい重要で、何を神との関係を成長させるために、そして、わたしたちの霊性を養うために、投資しようとしているのでしょうか。どれくらいの自制が神との旅路において必要なのでしょうか。
カトリックの著作家トーマス・メルトンはかつてこのように著しました。「霊性のふたつの敵は、怠惰と臆病だ。」わたしたちは何をしなければならないか知っています。しかし、多くの場合ただ何もしない結果に終わってしまうのです。流れに流されるほうが逆らうより簡単です。他の人と同じことをするほうが違う太鼓に合わせるより簡単です。
何年も前に大変助けになる推論を読みました。山から海へと急激に流れ込む川は、細くて高い岸壁を持っています。このような川をカヌーで下りたことがあれば、ときによっては恐ろしい体験となることをご存じでしょう。最初の日曜日に、今年の初めに起き、悲劇的な結果に終わったわたしの母国での惨事のことをお話しました。ある川の水が海に流れ込みにあたって、水かさが山からの雨水によって32回増水したときのことです。
しかし、岸壁を取り除くか、その川が平地を岩壁なしに蛇行するのを追跡すると、すぐさまに広がって、速度を落とします。平地が十分に広ければ、川は沼地になるかもしれません。わたしのこれまでの話とのつながりがおわかりでしょうか。わたしたちの人生があまりにいっぱいで、焦点があっていなければ、あまりに多くのことに興味があり、多すぎる約束、したいことがありすぎ、読書、鑑賞、訪問、傾聴、このような状態では何も意味あることをできなくなりがちです。なぜならもっとも重要なことがそうではないものに捉われてしまうからです。この人生において何かを成し遂げる方法は、最善のために、多くのことに「いいえ」ということです。無害だけれども単純に邪魔をしているのです。
キリストをとおして神は、神との親密さと協力を可能にしました。それはわたしたちの人生に起きるかも(may)しれません。神がそれを可能にした一方で、今度はわたしたちが、神が、わたしたちに生きて欲しいと思っている人生に足並みを揃えなければなりません。これまでのようにではなく、コントロールされたもの、もしくはもっと良いもの、神によってコントロールされたものです。
2. Perseverance 忍耐
ペテロはこれらの手紙をクリスチャンたちが深刻な迫害のもとに暮らしている時に書きました。ペテロの最初の手紙の冒頭からそのことは読み取り始めることができます。彼は自分の手紙を神の選ばれた、「アジア諸州に離散した」人々へと宛てています。海外で休暇を楽しんでいたり、仕事で旅行しているために離散していたわけではありません。クリスチャンであるために、ローマの軍隊によって追われていたからです。のちの章では、「あらゆる艱難に苦しんでいる人たちに」「彼らを励まし耐えがたいつらいこの試練に驚かないように」「神は彼らのことを気にかけておられるのですべての不安を神にささげるようにとうながしています」と記されています。忍耐するようにと呼びかけているのです。あきらめてはいけない!そこにとどまりなさい。ただし、前向きに、そして希望に満たされて。
先週、日本にはこれと非常によく似た話が存在するとお話ししました。いえ、もっと酷い話かもしれません。400年ほど前、護送の荷車が京都からこの町をとおり長崎へと向かっていました。その護送の荷車には最初24人のクリスチャンが乗っていました。3人は子供でした。道中で2人の人が力になろうとして、24人のうちに加えられました。迫害は長崎で数年前に始まっていました。そのまちと周辺でクリスチャンの宣教師たちがあまりに成功を治めたので豊臣秀吉は警戒しだしたのです。彼は、警告し、脅迫しました。しかし、成長はとまることはありませんでした。
京都でもキリスト教に対する関心が広がり始め捕囚が始まりました。荷車がゆっくりと西に向うにつけて、住民はこの外国の宗教を捨てなければ自分たちにも同じ運命が襲いいかかるということが警告されました。26人は長崎ではりつけにされました。その場所に大きな記念碑があると聞いています。新たな迫害の波が追ってきました。残忍で、どのような例外も認められませんでした。こども、女性、老人、家族全員。熊本の近くを訪れると石の踏み段に刻まれた十字架を今でも見ることができます。その十字架と、その十字架で死んだ人が自分にはなんの意味もないということを証明するために人々が踏まなければならなかった踏み石です。
1000人中10人が忍耐しました。自分たちの神に対する忠誠を否定することを拒否しました。1000人中10人が死にました。1000人中10人が周辺の田舎へと逃げ込みました。情報提供者には銀300が報酬として与えられました。捕まった者たちは、絶壁から投げ込まれたり、生きたまま焼かれたり、引き裂かれたり、餓死するまでおりに閉じ込められたり、河口の杭にくくりつけられ満ち潮で溺死させられたりしました。すべての宣教師は国外退去するように命じられました。1626年には長崎には4万人のクリスチャンが住んでいましたが、次の年には1人もいなくなりました。政府はクリスチャンの信仰を除去したと思いました。200年以上のちに、日本に再びキリスト教の教師たちが入国することが許され、長崎の周辺にいくつかのクリスチャンの村を見つけました。彼らの信仰は父から子へと祈りが伝えられ、洗礼を授けることによって生き続けていたのです。1872年にクリスチャンたちは自分たちの家に戻ることを許され、迫害はようやく終わりを告げました。そして、KUCが神戸の中心地で誕生したのです。その最初の日本人の改宗者は、受洗し、すぐに逮捕され、6ヵ月間投獄されました。しかし、これはまた、別の話です。
忍耐を意味するギリシャ語は、とどまり続けること、つかまることを意味しますが、消極的でただ辛抱強くという意味ではありません。それは希望に満ちているのです。このように記されたイエスのように。「このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て(新改訳:ご自分の前に置かれた喜びのゆえに)、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の王座の右にお座りになったのです。」
かなり個人的なお話をして終わりたいと思います。前回日本に住んでいた時にわたしは、「ポリミアルジア レウマティカpolymyalgia rheumatica」と呼ばれる問題に見舞われました。伝染はしませんので警戒する必要はありませんよ。海星病院の山本医師がすぐに何であるかを診断し、彼が処方する錠剤が奇跡の薬のように効くとわたしにいいました。まさにそうで、2日で痛みが消えました。「プレドニゾンprednizone」というステロイドで、あまりよくない副作用を起こす可能性があります。わたしは、ニュージーランドに戻った時に急激な緑内障Glaucomaを発症し、左目の視力を失いました。
緑内障は目の神経すべてを破壊しながら、急に進行することがあります。ニュージーランドの病院は、わたしの反対の目に緑内障が進行している予兆がもし現れたら、すぐに連絡してくるようにとわたしに言いました。数ヶ月後、わたしたちが住んでいる近くにあるフランシスコ修道会での3日か4日間の沈黙の黙想会に申し込みました。そのうちのある晩、激しい痛みを右(反対の)目に感じて目が覚めました。わたしは即座に緑内障であろうと推測して病院に行く必要がありました。しかし、わたしは車を持っていませんでしたし、どこに電話があるかもホストやリーダーたちがどこで寝ているかも検討がつきませんでした。文字通り耐え忍ばなければなりませんでした。しばらくの間、盲目で送る人生とはどんなものだろうかと考え不安でした。そして、突然、本当に突然に、ふたつの言葉が鮮明に脳裏に浮かびました。わたしがよく使う言葉では全くありませんでした。わたしは、すぐに神様がこれらの言葉をわたしの脳裏に置いたのだと気がつきました。それらは「手放す‘relinquish’」と「抱きしめる‘embrace.’」でした。
意味が理解できますか?あなたの信仰が試されるとき、神を手放してはいけません。不安になってはいけません。あなたによる人生に対する計画を手放し、神を信頼しなさい。そして、ただ禁欲的に、後悔しながら、良い時は終わったと思いながらではなく、これらの思いがけない変化の出来事を抱きしめながら。なぜなら神はわたしたちが想像する以上のものを、人生をより豊かにし、ご自分との関係を深めるために編みこむことができるからです。
JKUC351JKUCメールマガジン(2008年10月31日 第351号)
<2008年11月2日(日)の予定> 9:30 ワーシップ/礼拝 10:30 フェローシップ/交わり 11:00 サンデースクール/教会学校 12:15 サンデースクール教師会
<日曜シャトルバス時間表> JR六甲道駅(駅南側のツタヤ向側)9:00 阪急六甲駅(駅北側の池田銀行付近)9:20 教会から各駅へ(教会玄関前) 10:40 乗り場の確認はホームページの写真を参考にして下さい。 http://www.kobeunionchurch.org/page3/page3.html#JR
<11月の教会行事> 2日(日) 9時半 聖餐式(礼拝) 5日(水) 9時半 WOW 9日(日) 10時45分 EKK礼拝 12日(水) 9時半 WOW 16日(日)9時半 子供祝福式(礼拝) 19日(水) 9時半 WOW 23日(日)12時 サンクスギビングポットラック 26日(水) 9時半 WOW
<2日(日)の奉仕者リスト> SS. PreK&K (Ted&Taeko): Ted&Helen SS. G1&2 (Mary): Mary Z.& Megumi M SS. G3-5 (Scott M.): Scott M& YongHe SS. Middle (Alisa): Won L. SS. High (Scott K.): Won L. SS. Galatians Study (Jacob): Jacob SS. Japanese Adult (Yasuo): Yasuo Shuttle Van (Larry): Tetsuo S.& Shinjiro K. Nursery (Haruko): Dorothy M & Tamiko F. Nursery2 (SS time): Haruko T. Children's Church (Yasuo): Joy K. Translation (Masami): Haruko T Trans-equip (Shunji): Yoshiko T. Greeter (E&D): Shirley W. Head Usher: Lynn P. Preacher: Gerard M Worship (Kim): Lorene A.
JKUC351-2JKUCメールマガジン(2008年10月31日 第351号)
<Moving from knowing about God to knowing God>
クリスチャンが信じているものとは何でしょうか? それは人の子であるイエス・キリスト,2000年以上前に生きていた方で,神の御子であり,この世に生れて死に,そして私たちを神様にとりなしてくださる方です。イエス様はご自身が預言されていた通りに亡くなり,500人以上の人々にその復活を目撃されました。彼らは,もし私たちが不信心から立ち返り,神様の許しの恵みを受け入れ,“現在も生きておられる”イエス様に従うものとなるのであれば,神様は私たちを神の家とし,私たちの命を永遠のものとしてくださるだろうと訴えました。この500人の中にピーター(ペテロ)という人がいました。この人は今朝私たちが朗読した手紙を書いた人です。彼は手紙を送った人々に,神様がなさったことと約束されたことを忘れないよう,そしてこの話をただ信じるだけではなく,イエス様の教えに従って行動するよう励ましました。神様のパートナー,協力者となるよう,訴えたのです。皆さんにピーターが訴えたことを理解してもらうためには,この話が一番でしょう。
800年前のこと,イタリアのアッシジにフランシスという男性が住んでいました。彼は22歳で,町一番の織物商人の長男でした。彼は幸福な青年として知られていました。しかし,1207年の春のある日,彼は幸せではありませんでした。彼は美しいウンブリアの町はずれで馬に乗っており,いつもの習慣で,神様に祈っていました。しかし,いつもとは異なり,その時は神様が彼に応えたのです。“フランシス,もしあなたが私の計画を知りたいと望むなら,あなたが今まで愛してきたすべてのものは捨て去らなければならない。ひとたび捨て去ったなら,今魅力的に見えるすべてのものがもはや何の興味もわかないものになるだろう。しかし,今好ましくはとても思えないものが,大変好ましく喜ばしいものとなるだろう”
この言に我を忘れていたフランシスは,唐突に現実に立ち返りました。彼の馬は手綱をひかれ,その唐 突な動きに彼は注意をひかれました。見ると,道のすぐ先に,重度のハンセン病患者がいるのを見つけました。彼の最初の反応は,馬を返して元来たほうに戻るというものでした。彼が嫌っていたのは,ハンセン病…その見た目とにおいだったのです。当時のイタリアには,多くのハンセン病患者がおり,彼らは19,000の小さな病院やハンセン病療養所に入れられていました。しかし,多くの人はハンセン病を嫌悪するものと考えており,フランシスも例外ではありませんでした。彼がすることと言えば,もし誰かが患者の手に渡してくれるのであれば,コインを与えるだけだったでしょう。しかしこのとき,彼は神様の言を深く考えていたので,彼がすべきことを知っていました。彼は馬から飛び降り,ハンセン病患者のもとへ行き,その差し出された手にお金を渡し,恐ろしい病のために悪臭のする指にキスをしたのです。そして再び馬に乗り,感激に満たされて家路につきました。神様のおっしゃったとおりになったのです。“好ましさ,幸福,そして喜びが彼の魂にそそがれ,満たしてあふれつづける。あたかも陶器の器を清い流れが満たし,注ぎ続けて縁からあふれるように” 次の日,彼はハンセン病病院に戻って行きました。ほんのしばらくの間鼻をつまんでから,前日に彼がしたように,彼は落ち着いて気の毒で恐ろしい人々のところへ行ってコインの袋を配り,病気に苦しめられた手にキスして回りました。アッシジのフランシスは“人が得ることのできるもっとも偉大な勝利,すなわち己自身に対する勝利”を勝ち得たのです。フランシス自身は,主が彼に勝利したのだと言いました。この話のポイントは,神様との真実で深く満たされた関係は,私たちがまずイエス様を信じて,イエス様に従うことを決心した時に始まり,私たちの生活や,私たちのする選択や他人とのかかわり方についてイエス様の言に信頼するほどに育っていくということです。私たちが命を生き始めたとき,神様は私たちの命の中にいらしてくださるのです。
1.この言を思い出してください…先週読んだピーターの聖句です。
“神は我々に尊く,大いなる約束を与えてくださった。それは,私たちが神の性質にあずかるものとなるためである。…だから,力の限りを尽くしてあなた方の信仰に徳を加え,徳に知識を,知識に節制を,節制に忍耐を,忍耐に信心を,信心に兄弟愛を,兄弟愛に愛を加えなさい。”
キリストを私たちの命に招き入れて,恵みをいただくために,私たちは神様が私たちに望まれるように生き始めなければなりません。その時,私たちは神様のパートナーとなるのです。
2.信仰から始まることを覚えてください…神様の言を注意深く聞き,また読んで,信頼することを始めてください。いつもやってきた生き方ではなく,神様の示す生き方を信頼するように自分自身を鍛錬することです。
現実を見てみましょう。この教会は財政的危機にあります! 私は会計士ではありませんが,このままでいけば数カ月で貯蓄を使い果たしてしまうだろうと考えています。つまり破産です。新しい牧師をこの12カ月の間に探さなければなりません。今,私たちはストレスと不安にさらされて,大急ぎでスタッフ(もっとも大きな支出項目です)を解雇することもできます。また,分相応の生活をし,あるいは信仰によって行動することもできます。私が言いたいのはこういうことです…
1.まず,神様がこの(神の)教会に何を求めておられるのかを尋ねるのです。これは明確ですよね? しかし,このことは必ずしも常にクリスチャンの心に浮かぶものではないのです。
2.…そして,もし神様はスタッフをただちに追い出すようには望んでおられないと結論したならば,私たちは神様に,どうしたらもっとたくさんの資金を見出せるかをお示しくださるよう祈ることができます。
私の個人的な話をしましょう。7年前,私たちはニュージーランド最大の都市であるオークランドの教会で働くために神戸を発ちました。この教会は非常に困難な状況にありました。人々は去ろうとしており,主任牧師は辞任し,献金は週$1,000というのが予算額でした。私たちは祈りました。そして,それからまもなくして,私たちが信徒を育てるために何かしなければならないということが明らかになってきました。私たちは,信徒の家族を引き付けておくために,子供たちと家族のスタッフを雇用する必要がありました。あなた方の中には,ここにいたLyndell Maynardを覚えているでしょう,彼女はこの教会で結婚して,Lyndell Simpsonになり,それからイギリスに住んでいました。私は彼女に電子メールを送って,彼女が興味があるかどうか尋ねました。彼女の返信は非常に早く戻ってきました。“もちろんですよ!”私が考えていたことに,彼女は興味を持ってくれたのです!
しかし,私たちは彼女に給料を払わなければなりません。そこで,私は信徒に神様とともに冒険をするよう奨励して,彼らに尋ねました;
1.あなた方は今よりも多くの捧げものをすることができますか?
2.もしできないなら,神様により多くの捧げものをするための力を与えてくださるよう祈りましょう。
私たちはそうするだけの権利があるでしょうか? 私はそう信じています。パウロはこう書いています;
“私の考えはこうである。少ししかまかない者は少ししか刈り取らず,豊かにまく者は,豊かに刈り取ることになる。…あなたがたはすべてのことに豊かになって,惜しみなく施し,…神に感謝するにいたるのである”(コリント人への第2の手紙9章6~11節)
しかし,その通りになったでしょうか? さて,6か月の間に,私たちは1年間の給料の支払いのために充分な資金を得るにいたりました。そして,Lyndellの真価は,献金をこのレベルで問題なくキープし続けることで発揮されたのです。実際,その次の年,私たちは同じようにして,ユースパスターを雇うことができたのです。しかし,より個人的なことをいわせてください。私は,過去にこのようなことをしたことがありませんでした。それでHeatherと私は,Lindellのサポートに対して私たちが何をすべきか,と話し合いました。私たちは自分たちにできるすべてを捧げていました。ですから私たちは,神様が与えてくださるならば$1,000を支払えるだろうと書き送りました。私たちは,神様がこれを成し遂げてくださると信じることができました。1週間もたたないうちに,どなたかが私たちにまさにその額の小切手をくださったのです。これは大変稀なことであったと言えます!!
私たちがユースパスターのために次の年も同じようにするよう依頼されたとき,私たちは2倍の額,$2,000を神様に信頼することを決心しました。その後何カ月かはなにもおきませんでした。そして,私は税務署からの納税通知書を持っていました! 日本を出国後,私たちは納税しなければならないことは知っていました。私たちはそのためのお金を取っておいてありました。しかし,その納税通知書にはおおよそ$2,000と記載されており,これは私たちがとっておいた額より少ない額でした。私たちはこのお金を神様からの贈り物と考え,ユースパスターを支えるために使いました。
あなたがたはこのことが私たちの信仰と神様との関係にどんな影響を及ぼしたか想像することができますか? そして,このすべてのこととほかの人々からの話がこの教会の生命と信仰に何をなしたかを想像することができるでしょうか? 大変な冒険でした! 私たちは二度と同じことを経験することはできないでしょう!
Heatherと私は自分たち自身で祈り,またほかの人々とともに祈り,神様を信頼できることについて話し合いました。そして,もし神様がKUCにより多くの資金をお与えになることをお望みならば,私たちは協力できるでしょう! 単なる見物人としてではなく,神様のパートナーとして!
この関係を築くために,私たちは信仰を育てる必要があり,私たちの中に生きる神様の言を信頼する必要があるのです。
2.先週の日曜,私たちは信仰に徳を増さなければならないことを学びました
あなたがたは,ギリシャ語の“arête”が単なる時折の善行や活動だけでなく,本質的な善人,真実かつ正直で,あらゆる時と場所でたやすい過ちではなく困難な正しいことを選択することを意味することを覚えていますか?
3.今日,私たちは次の規律,美徳を見出します…知識です
この語句はピーターにとって非常に重要なものです。彼は,8節の間に4回この語に言及しています。
“…神と私たちの主イエスを知ること…私たちを召された方を知る知識…私たちの主イエス・キリストを知る知識。” 最終的にピーターが示しているのは,神様とイエス様のことを単に知るということではなく,私たちが愛する家族や親友のことを知るように神様のことを深く知るということであることは疑いありません。しかし,私たちが誰かをそのように深く知るためには,まずその人のことについて知る必要があります。
私たちが聖書を読まなければならない理由はこれです…私たち自身を聖書に,特に新約聖書にしっかりと浸さなければなりません。いろいろな理由から聖書のためにきちんとした時間を取らないでいると,神様との関係が損なわれてしまうのです。この世と他人からの期待が私の人生にますます立ち入ってくると,私は問題の解決に自分自身を頼り始め,それによりストレスが大きくなっていきます。こう言うとき,私は速やかに神様の言に立ち返ります。神様の言は私を神様との人生の軌道に戻してくれるのです。
他にも,私は,今日の世界においていかにイエス様に従おうとしたかと,私を勇気づけてくれる話の本も読みます。たとえばJohn Newtonの最近の伝記は,奴隷貿易の終焉に主要な役割を果たした一人で,また有名な“アメイジング グレイス”の作者としても有名な人物について書かれたものです…また,Caroline Cox男爵夫人の本は,今日でも存在する恐ろしい奴隷制度,特にアフリカとアジアに存在する奴隷制度の廃止に向けて扇動するものです。奴隷制度が永久に廃止されたと思われた時から80年後の今,過去の歴史のどの時よりも多い,2,700万人もの奴隷が存在するのです。彼女がこの本を書いた理由は,キリストの召しを受けたからです。霊感を与えられます! …Philip Jenkinsの3冊の本は,今日の世界におけるキリスト教教会のあり様を描いたものです。私はほかにこのような本を知りません。世界の特定の部分の成長は驚異的ですが,多くのクリスチャンはこのことに何のアイディアも持っていません。
もし,あなたがたが最近日本に来たばかりだったり,日本のキリスト教の歴史をあまりご存じでないなら,賀川豊彦のことはご存じないでしょう。彼は神戸に住んでいた素晴らしいクリスチャンの一人です。Morse Saitoさんは彼のことをよくご存じで,多くのことを話してくださるでしょう。この人は十代のころにクリスチャンになり,家族から縁を切られて相続権も奪われました。しかし彼は,イエス様の説話に魅了され,彼の生涯における祈りは“主よ,私をキリストのようなものにしてください”というシンプルなものでした。彼は14年間を,三宮の東にある新川の貧民街で過ごし,もっとも貧しいものの一人として生きることを選びました。
彼は労働組合を組織し,第2次世界大戦中には反戦思想のために収監され,ノーベル平和賞候補に推薦された人でもあります。私は彼の話を何度も読んだり話したりしています。そして,彼の話は私を励まし,私をキリストに近づけてくれるのです…彼の話は,彼が自分の人生や選択を神様に委ねていたために,神様の姿がとてもリアルだからです。
最後に,10年前に信徒の皆さんに初めてお話したことについてお知らせしたいと思います。新約聖書の中の神様を表すギリシャ語に,“sperma”というものがあります。この語は種子spermの語源となったものです。私たちが自分の精神と心を神様の言で満たすとき,私たちはこれを喜び,これに従って行動します…そして,神様による真実の命が私たちの中に育ち,神様の命が私たちの中で再現されるのです!
あまり速くこの言葉を通り過ぎないでください。あなたがたはこのことを聞いたことがなかったでしょう…大変意味深いことなのです。あなたがたは神様の命に加わることを望み,神様との親しい関係を切望し,神様があなたをイエス様のようにしてくださることを熱望しますか? それは信仰から始まります。私たちは自分の人生を神の言で育て,私たちの選択を神様に委ね,人生そのものを委ねるのです。
素晴らしいことです: 神様について単に知ることから離れ…神様のことを熟知するようになりましょう!
◎ 神戸ユニオン教会 日本語ミニストリ― ◎ 2008/10/23 JKUC350JKUCメールマガジン(2008年10月24日 第350号)
<2008年10月26日(日)の予定>
9:30 ワーシップ/礼拝
10:30 フェローシップ/交わり
11:00 サンデースクール/教会学校
<日曜シャトルバス時間表>
JR六甲道駅(駅南側のツタヤ向側)9:00
阪急六甲駅(駅北側の池田銀行付近)9:20
教会から各駅へ(教会玄関前) 10:40
乗り場の確認はホームページの写真を参考にして下さい。
http://www.kobeunionchurch.org/page3/page3.html#JR
<10月の教会行事>
22日(水) 9時半 WOW
26日(日)9時半礼拝、11時サンデースクール
27日(月)月報「The Messenger」の原稿締切日
(28日(水) WOWは休会です)
<26日(日)の奉仕者リスト>
SS. PreK&K (Ted&Taeko): Taeko M. & Seiko I.
SS. G1&2 (Mary): Mary Z.& Taeko B.
SS. G3-5 (Scott M.): Kristen C. & YongHe
SS. Middle (Alisa): __________
SS. High (Scott K.): Won L.
SS. Galatians Study (Jacob): Jacob
SS. Japanese Adult (Yasuo): Yasuo
Shuttle Van (Larry): Moses P.& Chieko D.
Nursery (Haruko): Lynn & Taeko B.
Nursery2 (SS time): Haruko T.
Children's Church (Yasuo): Ted K.
Translation (Masami): Chujo
Trans-equip (Shunji): Shunji M
J-script: Miho Furuta
Greeter (E&D): __________
Head Usher: John S.
Preacher: Gerard M
Worship (Kim): Kim Y.
Organ: Polly S.
Piano: Yuri S.
<通訳者予定リスト>
2/Nov Tanikase
9 Fujimoto
16 Hayase
23 Miyatani
30 Chujo/Ishibashi
<KUCクリスマスイブ礼拝の和風劇>
以前にマークス牧師がKUCで牧会されていた時、2001年のイースターには教会の各部屋を使って、「ステーション・オブ・クロス」を行いました。日本人は最後の晩餐のシーンを和風仕立てにして行ったことを覚えていらっしゃるでしょうか。12月24日のクリスマスイブ・キャンドル礼拝でも、同様のコンセプトで伝統的な日本の衣装で5-10分の降誕劇を取り入れることについて、今週話し合いました。劇の脚本は英語でマークス牧師が書いたものを、日本語に訳し、当日は日本語で演じ、スクリーンに英語の字幕をという構想です。キャストは、ヨセフとマリア役、羊飼いや天使役など子供を入れて、10名くらいです。また、大道具、小道具などの準備係りも必要です。12月24日公演予定の「和風降誕劇」の出演・舞台裏準備などに関心ある方は、牧師まで連絡ください。2週間以内に出演者は決定し、11月中旬からパート練習、12月から舞台稽古に入ります。
<神戸クリスマスフェスティバル>
神戸市と近隣地区の福音的キリスト諸教会が中心となって、神戸市民と共にクリスマスを祝う伝道的福音集会が毎年行われています。今回で32回目となる神戸クリスマスフェスティバルは、12月5日(金)午後7時から、大倉山にある神戸文化ホールにて開催されます。入場は無料で託児サービスもあります。神戸ユニオン教会も協賛し、広報(ブログ)を担当しています。http://kobe1211.spaces.live.com
今回、諸教会の信徒が集まってクワイヤーを結成します。大人の「フェイスクワイヤー」と子供の「キッズクワイヤー」とがあります。参加希望者は、楽譜とCDが実費で配布され、各教会で、もしくは各自練習して、11月23日と30日2時半からの2回に渡って、合同練習が行われます。そして12月5日のリハーサル、本番を迎えます。どなたでも参加できます。関心のある方は、牧師までお申し出下さい。 |
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